鹿賀丈史(かが たけし)
1950年10月12日生
身長180㎝
石川県出身の俳優
本名は勝田薫且(かつた しげかつ)
経歴/プロフィールの詳細
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1972年に劇団四季に入団し、1980年の退団まで劇団の看板俳優として多くの舞台に出演。
1978年の「黄金の日々」でテレビドラマ初出演。
1980年の「野獣死すべし」で映画初出演。
1981年の「悪霊島」で映画初主演。
1980年代に出演した「疑惑」や「麻雀放浪記」、「キャバレー」などの映画で多くの映画賞を受賞。
1992年に「微笑みのせいさ」で歌手デビュー。
1993年から「料理の鉄人」に出演していた。
以降も数多くの作品に出演し、テレビドラマの代表作は「警部補 古畑任三郎」や「静かなるドン」、「地味にスゴイ!校閲ガール・河野悦子」など。
既婚者でひとり息子がいる。
学歴~出身小中学校・高校の詳細
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出身高校:石川県 金沢二水高校 偏差値65(難関・現在)
鹿賀丈史さんの出身校は、県立の共学校の金沢二水高校です。
同校は地元では古くからの進学校で知られ、鹿賀さんの在籍した当時の偏差値等は不明ですが、それなりのレベルにあったことは間違いないでしょう。
金沢市立材木町小学校から金沢市立野田中学校を経て、同校に進学しています。
鹿賀さんは小学校の頃から少年合唱団に入団しており、声楽家になることが夢でした。
中学時代はブラスバンドをやっており、高校時代も合唱部に所属するなど、学生時代から音楽に親しんでいます。
高校の合唱部では全国大会に出場するほどで、テノール歌手と指揮を担当していました。
【主な卒業生】
森喜朗(元内閣総理大臣)
学歴~出身大学の詳細
出身大学:進学せず
鹿賀丈史さんは高校卒業後は、大学などに進学していません。
現役時代に東京音楽大学などの音大受験に失敗して浪人生活を送っていましたが、友人の勧めで受験した劇団四季に合格したため、進路を変更しています。
劇団四季では浅利慶太さんに見いだされ早くから主役級に起用されて、後に看板俳優になっています。
四季を退団後もテレビドラマや映画の話題作に立て続けに起用されて、瞬く間に人気俳優の地位を獲得します。
その反面「料理の鉄人」などのバラエティー番組にも出演し、軽妙なトークを披露。
多くのファンにも支持されているだけあって、今後のさらなる活躍にも期待が高まります。
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