三輪記子の学歴と経歴|出身大学高校や中学校の偏差値と学生時代のエピソード

 

弁護士の三輪記子さんの出身高校や大学の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。情報番組などでコメンテーターを務める三輪さんですが、どのような学生生活を送っていたのでしょうか? 学生時代のエピソードや情報、当時のかわいい画像なども併せてご紹介いたします

 

三輪記子(みわ ふさこ)

 

 

1976年10月24日生

身長160㎝

血液型はB型

 

京都府京都市出身のタレント、弁護士

本名同じ

 

以下では三輪記子さんの出身高校や大学の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介いたします

 

目次

三輪記子の学歴~出身小学校(京都市立嵯峨小学校)の詳細

 

出身小学校:京都府 京都市立嵯峨小学校

 

 

 

三輪記子さんの出身小学校は、地元京都市内の公立校の嵯峨(さが)小学校です。

 

家族構成は両親と弟の4人家族です。

 

父親は元私立大学の職員で、母親は専業主婦という家庭環境で育ちました。

 

また実家は浄土宗の寺院です。

 

母親は個人的に頼まれて英語の家庭教師をしており、父親はたくさん本を読むような家庭だったといいます。

 

そのため勉強をすることが身近でした。

 

また三輪さんは子供の頃は体が弱かったので、親に勧められて小学校時代にテニスをはじめています。

 

週3回のレッスンに通っていましたが、テニスはとても楽しかったと公式ブログに綴っています。

 

加えて小学5年生の時に自身の意思で中学受験をしようと決意をしています。

 

そのため進学塾の洛西学院の入塾テストに合格して、以降は中学受験のための勉強に励んでいました。

 

三輪記子の学歴~出身中学校(同志社中学校)の詳細

 

出身中学校:京都府 同志社中学校 偏差値62(やや難関)

 

 

 

三輪記子さんの出身中学校は、私立の共学校の同志社中学校です。

 

この中学校には中学受験で入学しています。

 

ただし三輪さんの中学時代の情報やエピソードは見当たりませんでした。

 

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三輪記子の学歴~出身高校(同志社高校)の詳細

 

出身高校:京都府 同志社高校 偏差値71(超難関)

 

 

 

三輪記子さんの出身高校は、私立の共学校の同志社高校です。

 

この高校は1896年開校の同志社大学の系列のキリスト教系のミッションスクールです。

 

また卒業生は原則として同志社大学に進学できるので、現在では偏差値が跳ね上がっています。

 

三輪さんはこの高校の系列の中学校に通学しており、高校へは一般受験ではなく内部進学で進んでいます。

 

高校時代は帰宅部で、部活動などはおこなわなかったようです。

 

高校時代は楽しい学校生活を送っていましたが、同級生の8割以上が内部進学で同志社大学に進むため、別の大学を目指すのであれば周りと同じような勉強をしていたのではいけないという感覚がありました。

 

また当時は親に塾代と偽り、そのお金で男子と遊んでいたとのことです。

 

三輪さんは女子高生っぽくないような見た目で短髪にラフな格好でしたが、進学校の男子と遊んでいたことを明かしています。

 

なお大学受験の際には猛勉強して、東京大学に合格しています。

 

【主な卒業生】

津川雅彦(俳優・中退)

松田好花(日向坂46)

もえのあずき(タレント)

 

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三輪記子の学歴~出身大学(東京大学)の詳細

 

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出身大学:東京大学 法学部 偏差値72(超難関)

 

 

 

三輪記子さんは高校卒業後は、最難関国立大学の東京大学に進学しています。

 

文科Ⅰ類に合格して、後に法学部に進みました。

 

この大学の法学部は京都大学法学部と並んで、国内の大学の文系の学部の最難関に位置します。

 

三輪さんはこの大学に現役合格をしており、かなりの学力を有していました。

 

当初は外交官を志していました。

 

 

外交官を目指していた1つの理由としては、英語を使う仕事で将来1人でも生きて生きると思ったからでした。

 

というのも三輪さんは子供の頃から母親に「女の子はかわいかったら生きていけるけど、あなたはかわいくないから男に頼らず一人で生きなさい」と言われていたことが影響をしていたようです。

 

大学入学後には、行政機構研究会というサークルに入っていますが、官僚を目指す人が多く集まるサークルで、自身とは感覚が違うと痛感したことで外交官になる夢を諦めています。

 

大学2年生の夏からは陸上部の先輩と交際をするようになったため、それまでは幽霊部員でしたが真面目に陸上競技をおこなうようになりました。

 

三輪さんは留年をしており、大学5年生の時に飲み仲間だった映画監督の林海象さんから「お前は弁護士に向いている」と助言を受けて、弁護士を志すようになりました。

 

なお三輪さんは大学時代には3回留年して、卒業をしています。

 

そして立命館大学法科大学院を経て、32歳だった2008年に司法試験に合格しています。

 

ちなみに司法試験には7回落ちて、10年かけて弁護士になったことをインタビューで明らかにしています。

 

そして弁護士として活動する傍ら、若い頃はグラビアにも登場していました。

 

 

またタレントやコメンテーターとしても活動しており「ビビッド」や「ミヤネ屋」などの情報番組に出演しています。

 

 

2022年にはYOUTUBEに公式チャンネルを開設しています。

 

 

今後の活動にも注目ですね。

 

以上が三輪記子さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。

 

10年かけて弁護士になりましたが、その後はタレントやコメンテーターとしても活動しています。

 

 

美人でありながらその鋭いコメントには定評があります。

 

今後のさらなる活躍にも期待が高まります。

 

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ここまでお読みいただきありがとうございました。ご質問やご意見などがございましたら、お手数をおかけしますがページ上の「お問い合わせ」よりお願いいたします。

 

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