人気タレントの千秋さんの出身高校や大学の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。千秋さんは実は大手企業の社長令嬢で、筋金入りの「お嬢様」でした。学生時代のエピソードや情報、若い頃のかわいい画像なども併せてご紹介いたします
千秋(ちあき)
1971年10月26日生
身長151㎝
血液型はO型
千葉県千葉市出身のタレント、歌手
本名は藤本千秋(ふじもと ちあき)
以下では千秋さんの出身高校や大学の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介いたします
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千秋の学歴まとめ
出身大学:青葉学園短期大学 食物栄養科
出身高校:千葉県立千葉北高校
出身中学校:市原市立姉崎東中学校
出身小学校:市原市立青葉台小学校
千秋の学歴~出身小学校(市原市立青葉台小学校)の詳細 ・父親が大企業の社長だった
出身小学校:千葉県 市原市立青葉台小学校
千秋さんの出身小学校は、市原市内の公立校の青葉台小学校です。
家族構成は両親と3歳年下の妹の4人家族です。
生まれたのは千葉県の船橋市ですが、生後3か月から市原市で過ごしています。
父親は日本板硝子の社長や会長を歴任した藤本勝司さんで、京都大学卒業のエリートです。
なお社長などを務めた日本板硝子は旭硝子(現在はAGC)と並ぶ世界でも大手のガラスメーカーで、藤本さんは会長を務めた際には1億円を超える役員報酬を受け取っています。
そのため千秋さんは裕福な家庭に育っています。
お年玉も多い年で20万円ももらっていたそうです。
母親は自宅で英語教室を経営しており、そのため千秋さんも小学校4年生の頃からこの塾に無理やり入れられたことから英語が嫌いになっています。
また当時から将来は東大に入るように言われて進学塾にも通学していましたが、半ば強制されていたこともあって後に勉強が嫌になって塾も勝手にやめてしまっています。
千秋さんは子供の頃からピアノや水泳などの習い事もおこなっていました。
また当時から中森明菜さんや松田聖子さんに憧れており、小学校時代は合唱クラブにも入っています。
そのため当時から芸能界を夢見ており、小学校の卒業文集にも「将来は芸能人になる」と書いています。
千秋の学歴~出身中学校(市原市立姉崎東中学校)の詳細
出身中学校:千葉県 市原市立姉崎東中学校 偏差値なし
千秋さんの出身中学校は、地元市原市内の公立校の姉崎東中学校です。
中学時代は女優の中原果南さんと同級生で、当時は非常に仲が良く交換日記もしています。
千秋さんは中学時代は剣道部に在籍していましたが、運動は非常に苦手とインタビューで話しています。
そのため学生時代の体育の成績もほぼ「2」でした。
その一方で中学時代の千秋さんは非常に男子からモテており、最高で同時に6人の男子と付き合ったという伝説の持ち主です。
また当時から歌手に憧れており、たびたび教室で歌を披露したこともあったそうです。
さらに中学時代は反抗期で、特に母親の手を焼かせたそうです。
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千秋の学歴~出身高校(千葉県立千葉北高校)の詳細
出身高校:千葉県 千葉北高校 偏差値56(中の上)
千秋さんの出身高校は、県立の共学校の千葉北高校です。
この高校は1975年開校の中堅県立校です。
高校時代は俳優の長谷川朝晴さんと同級生でした。
千秋さんは中学では運動部に在籍していましたが、高校軽音楽部に所属して、ガールズバンドを結成しボーカルを担当していました。
バンド活動は熱心におこなっており3か月に1度音楽室でライブをおこなったほか、文化祭のステージにも出演して「プリンセスプリンセス」の楽曲を歌っています。
また千秋さんはその際のメンバーの衣装を作るなどの力の入れようでした。
その他にも地元のライブハウスにも出演したこともありました。
後述するように父親が上場企業の社長を務めるなど裕福な家庭に育っていますが、高校時代はゴルフ場やスーパーでアルバイトもしていました。
ゴルフ場ではキャディーのアルバイトをしていますが、まったくゴルフがわからなかったことから、「ピンまで何ヤード?」と聞かれると適当に答えていたとのこと。
【主な卒業生】
タンク永井(プロレスラー)
マリカ(お笑い)
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千秋の学歴~出身大学(青葉学園短期大学)の詳細
出身大学:青葉学園短期大学 食物栄養科 偏差値43(当時・容易)
※現在は閉校
千秋さんは高校卒業後は、青葉学園短期大学に進学します。
この短大は東京の世田谷区にあり、人間生活学科と食物栄養科を設置していました。
ただし2005年に東京医療保健大学に改組されたことから、2007年をもって廃止になっています。
千秋さんはこの短期大学では食物栄養科に在籍していました。
2017年に情報番組「ノンストップ!」に出演した際には、学歴コンプレックスがあったことを明らかにしています。
「親の学歴が超高くて私にも東大とか入れさせるよう育てたけど、私には全然できなくて四流の短大に行ったんですよ。だからずっと超コンプレックスだった」
記事引用:日刊スポーツ
短大時代の千秋さんはサイケなファッションで登校していたことから、周囲の学生によく笑われていたと述べています。
当時はウェートレスやテレフォンアポインターのアルバイトをしていました。
またファッション誌「Cutie」の読者モデルも務めていました。
加えて千秋さんは当時から歌が好きで、短大時代は横浜にあった「シェリーズ」というオールディーズのライブハウスにもたびたび出演していました。
学校にも真面目に通学して、デザイン会社と食器輸入会社から内定を得ていました。
しかし短大2年生の時に出演したフジテレビのオーディション番組「ゴールドラッシュ」でグランプリを獲得すると、進路変更して芸能界入りを果たします。
ちなみに千秋さんがこの番組に応募したのは就職活動の時期で、「最初で最後のチャンス」と考えて親に内緒での応募でした。
また最終選考に残った際に親に告白しましたが、母親に優勝賞金(100万円)の半分をあげるから棄権しなさいとも言われています。
その一方で父親はどうせ受からないと考えており、「無理やりやめさせるより、自分で行って落ちたほうが納得する」とオーディションの最終選考の受験を認めています。
ところが周囲の予想に反してグランプリを獲得しています。
ただし主催したフジテレビからはフジテレビ以外は出演しないということを求められて、「Cutie」の読者モデルは辞めています。
また「シェリーズ」で歌うこともできなくなりました。
このあたりの経緯についてはインスタグラムに次のように綴っています。
「フジテレビのゴールドラッシュ!で優勝しちゃったので、フジテレビ以外は出ちゃダメとなり、Cutieの読者モデルの話も立ち消え、シェリーズでも歌えずじまいでした。その時は、せっかくのチャンスを自ら断るのがつらかったです。これでどうにもならなかったらどうするの!って思ってました」
記事引用:ORICON
なおこのように千秋さんは短期大学時代から芸能活動を開始していますが、学校はキッチリと卒業しています。
以降はタレントや女優として数々のテレビ番組に出演しますが、25歳だった1996年に「ポケットビスケッツ」のメンバーとして歌手デビューすると、数々のヒット曲をリリースしNHK紅白歌合戦にも出場しています。
人気絶頂期にはソロ歌手としても活動しており、タレントばかりではなく歌手としても成功を収めています。
2021年にはYOUTUBEに公式チャンネルを開設しています。
今後の活動にも注目ですね
以上が千秋さんの学歴や学生時代のエピソードのまとめです。
オーディション番組でグランプリを獲得して芸能界入りしていますが、その際には本人も「奇跡」というほどでした。
しかしその後の活躍は目覚ましく、超売れっ子のタレントとなり、歌手としても紅白歌合戦に出場しました。
また2002年にお笑いコンビ「ココリコ」の遠藤章造さんと結婚した際には、大きな話題となっています(2007年に離婚)。
40代になった現在でも第一線で活躍しており、今でも多くのバラエティー番組や情報番組に起用されるほどの人気を誇っています。
末永い活躍を期待します。
経歴・プロフィールの詳細
1991年にオーディション番組「ゴールドラッシュ」の初代グランドチャンピオンになり芸能界入り。
1993年のドラマ「有言実行三姉妹シュシュトリアン」で女優デビュー。
1996年の「ウリナリ」の出演でブレイクし、番組内のユニット「ポケットビスケッツ」のボーカルを担当し、ヒット曲をリリース。
1998年にポケットビスケッツでNHK紅白歌合戦に出場。
その後も「笑っていいとも!」や「トロイの木馬」などのバラエティー番組のレギュラーを務める。
1999年の「甘い生活」で連続ドラマ初レギュラー。
私生活では2002年にココリコの遠藤章造と結婚して女児を出産するが、2007年に離婚。
2016年3月に15歳年下のTBS社員と再婚した。
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