ファッションモデルの押切もえさんの出身高校の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。タレントとしても人気の高い押切さんですが、実は高校時代は荒れていてコギャルでした。学生時代のエピソードや情報、当時のかわいい画像なども併せてご紹介いたします
押切もえ(おしきり もえ)
1979年12月29日生
身長169㎝
血液型はA型
千葉県松戸市出身のモデル、タレント、小説家
本名同じ(結婚前)
以下では押切もえさんの学歴や経歴、出身中学校や高校の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介していきます
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押切もえの学歴まとめ
出身大学:進学せず
出身高校:昭和学院高校(中退)→市川西高校
出身中学校:昭和学院中学校
出身小学校:松戸市立梨香台小学校
押切もえの学歴~出身小学校(松戸市立梨香台小学校)の詳細
出身小学校:千葉県 松戸市立梨香台小学校
押切もえさんの出身小学校は、地元千葉県松戸市内の公立校の梨香台(りかだい)小学校です。
家族構成は両親と2歳年下の弟の4人家族です。
父親の職業は現場監督で、母親も保険会社に務めており、共働きの家庭に育っています。
子供の頃はかなりの人見知りだったとインタビューで話しています。
母親がおしゃれ好きだったことから、押切さんも小学生時代からファッションなどに興味を持ちはじめています。
小学生の頃は新体操スクールに通っていて、熱心に練習に打ち込んでいました。
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押切もえの学歴~出身中学校(昭和学院中学校)の詳細
出身中学校:千葉県 昭和学院中学校 偏差値48(やや容易)
押切もえさんの出身中学校は、私立の共学校の昭和学院中学校です。
この中学校には中学受験をして入学しています。
またこの中学校には新体操部に入部するために入学しており、中学時代は新体操部に在籍していました。
ところが中学時代に他の部員とのレベルの違いをきっかけに新体操を辞めてしまい、部活動も退部しています。
この頃から遊び出すようになって、放課後にルーズソックスに履き替えて渋谷などに出没しています。
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押切もえの学歴~出身高校(昭和学院高校・市川西高校)・大学の詳細・コギャルだった!
出身高校:千葉県 昭和学院高校(中退) 偏差値51(普通)
※市川西高校に編入して卒業
押切もえさんが入学したのは、私立の共学校の昭和学院高校です。
この高校は1940年開校の私立高校で、部活動が盛んなことで知られています。
特に女子バスケットボール部が県内では強豪として知られています。
押切さんはこの高校の系列の中学校に通学していたので、高校には内部進学しています。
高校1年生だった1995年から、本格的にファッションモデルとして活動を開始しています。
しかし当時のこの高校は校則が厳しく芸能活動も禁止していたので、校則違反で1年生の時に退学処分となってこの高校は中退しています。
【昭和学院高校の主な卒業生】
荻野目慶子(女優)
中村晃子(女優)
そのため翌年に一般受験をして1年遅れで県立の市川西高校に入学し直しています。
出身高校:千葉県 市川西高校 偏差値47(容易)
※現在は市川昴高校
この高校は1985年開校の中堅県立校で、2011年4月に市川北高校と統合し現在は市川昴高校になっています。
押切さんは市川西高校の入試の際には、約半年間自宅にこもって真剣に受験勉強をしています。
高校生の頃からモデルとして活躍しておりましたが、当時は「コギャルのカリスマ」的な存在とされていたので、現在とは驚くほど似ても似つかない姿でした。
中学時代に部活を辞めてから、コギャルのファッションで渋谷などで遊び始めたようです。
現在は報道番組やドキュメンタリー番組でも司会やMCを務める押切さんですが、高校生時代は容姿、言動とも現在からは想像もつかなかったようです。
当時は現在よりもだいぶ太っており、MAXの体重が60kgもあったことをインタビューで明らかにしています。
またマクドナルドのセットを4セット分食べたり、校内の大食い大会で優勝したエピソードも残っています。
どうやら当時の押切さんはだいぶ荒れていて、頻繁に渋谷などに繰り出しては遊びまくっていたようです。
逆に言えば、その後の本人のかなりの努力が窺えますね。
そんな押切さんは後に自身の高校時代をインタビューで次のように振り返っています。
「恥ずかしい話、高校時代とかは誤解されても分かってくれる人だけが分かってくれるだけでいいと思ってました。友人関係も狭く深くで期待もしないし、努力もしない人間でした。私のことを派手な人だと思っているだろうけど、それ以上はいいやって。弁解もしなかったですね」
記事引用:ORICON
【市川西高校の主な卒業生】
西尾由佳理(アナウンサー)
大学には進学していない
押切もえさんは高校卒業後は大学へ進学せずに、芸能活動に専念しています。
前記のように高校時代は荒れており、当初から大学などに進学するつもりはなかったようです。
その後も芸能活動を継続した押切さんですが、20歳の時に転機が訪れます。
当時交際していた恋人が不慮の交通事故で亡くなったことがきっかけで、仕事に打ち込むようになります。
さらにはその後、当時所属していた事務所が潰れて、アルバイトをしながら芸能活動を続けていました。
当時の押切さんはいつ仕事が入ってもいいように、日雇いのアルバイトをしています。
そして専属モデルを務めていた「CanCam」で人気モデルとなりブレイクして、当時は蛯原友里さんと人気を二分するほどでした。
その後の活動などを見るに、この時期に大変な苦労をしたことが糧になったようです。
2016年にプロ野球選手の涌井秀章さんと結婚した際には大きな話題になっています。
2020年にはYOUTUBEに公式チャンネルを開設しています。
今後の活動にも注目ですね。
以上が押切もえさんの学歴や学生時代のエピソードのまとめです。
黒歴史のような中学・高校時代ですが、見事にそれを跳ね返して人気モデルにあっています。
またモデルやタレント活動の傍らに、小説を執筆して賞も受賞するほどです。
加えて2016年11月にプロ野球の涌井秀章さんと結婚し、待望の子供も誕生しました。
多方面でマルチに活躍している人物だけに、今後のさらなる活躍にも期待が膨らみます。
経歴・プロフィールの詳細
1996年ごろからティーン向けファッション誌「Popteen」のモデルとして人気を博し、「スーパー高校生」「コギャルのトップ」などと称賛された。
当時はギャル系のファッションで同世代に絶大な人気を誇り、バラエティ番組への出演もあった。
2001年「CanCam」の専属モデルになると、蛯原友里、山田優と並ぶ人気モデルとしてブレイク。
2002年ドラマ「恋ノチカラ」で女優デビューするが、現在は女優活動はおこなっていない模様。
2003年ごろからモデル業と並行して、バラエティ番組にも出演しはじめる。
現在はモデル業の他、バラエティ番組や司会業などマルチな活躍をしている。
2013年に「浅き夢見し」で小説家としてデビューすると、第2作の「永遠とは違う一日」は高い評価を得て、山本周五郎賞の候補にもなる。
2016年11月にロッテの投手・涌井秀章と結婚。
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