奥田瑛二の学歴と経歴|出身は明治学院大学・東邦高校!中学校の偏差値や若い頃のかっこいい画像

 

俳優の奥田瑛二さんの出身高校や大学の偏差値などの学歴情報をお送りします。若い頃は数々のテレビドラマや映画に主演していた奥田さんですが、どのような学生生活を送っていたのでしょうか? 学生時代のエピソードや情報、若い頃のかっこいい画像なども併せてご紹介いたします

 

奥田瑛二(おくだ えいじ)

 

 

1950318日生

身長175

血液型はAB型

 

愛知県高蔵町(現在は春日井市)出身の俳優

本名は安藤豊明(とよあき)

 

以下では奥田瑛二さんの出身高校や大学の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介いたします

 

スポンサードリンク

 

目次

奥田瑛二の学歴まとめ

 

出身大学:明治学院大学 法学部(中退)

出身高校:東邦高校

出身中学校:春日井市立高蔵寺中学校

出身小学校:春日井市立高座小学校

 

奥田瑛二の学歴~出身小学校(春日井市立高座小学校)の詳細

 

出身小学校:愛知県 春日井市立高座小学校

 

 

 

奥田瑛二さんの出身小学校は、地元愛知県春日井市内の公立校の高座小学校です。

 

家族構成は両親と姉、4歳年下の弟の4人家族です。

 

弟の安藤豊彦さんは陶芸作家です。

 

父親は氷店や喫茶店を経営しており、春日井市の市議も務めていました。

 

その一方で父親は子育てに厳しかったそうです。

 

意外にも奥田さんは幼少期からおねしょの癖があり、中学の入学式の前日までおねしょをしていました。

 

そのため小学校の修学旅行の際には、おねしょの隠蔽をおこなったことをインタビューで明らかにしています。

 

また小学校5年生の時に観た大友柳太朗さんの主演映画「丹下佐膳」に衝撃を受けて、俳優志望になっています。

 

奥田瑛二の学歴~出身中学校(春日井市立高蔵寺中学校)の詳細

 

出身中学校:愛知県 春日井市立高蔵寺中学校 偏差値なし

 

 

 

奥田瑛二さんの出身中学校は、地元春日井市内の公立校の高蔵寺中学校です。

 

中学校時代は野球部に在籍して、部活動に打ち込んでいました。

 

意外にも中学時代までは身長が低く、150㎝くらいしかありませんでした。

 

奥田瑛二の学歴~出身高校(東邦高校)の詳細

 

スポンサードリンク

 

出身高校:愛知県 東邦高校 偏差値40台前半(当時)

 

 

 

奥田瑛二さんの出身高校は、私立の男子校(当時)の東邦高校です。

 

この高校は1923年開校の私立高校で、同校はスポーツが盛んなことで知られています。

 

特に硬式野球部は甲子園の常連です。

 

また現在の同校は特進コースなどを設置して偏差値も向上していますが(現在の偏差値は50~61)、当時はそのようなコースはなく、現在よりもレベルは下でした。

 

なお同校在学中は、1学年上に俳優の伊武雅刀さんも在籍していました。

 

奥田さんは高校時代はラグビー部に在籍して、部活動に打ち込んでいました。

 

前記のように中学時代までは身長が低かったのですが、高校3年間で20㎝ほど伸びています。

 

また高校時代は実家の氷店でアルバイトをしており、自転車で氷を配達していました。

 

なお小学校時代から俳優志望でしたが、高校時代に父親に打ち明けたところ猛反対にあっています。

 

【主な卒業生】

天知茂(俳優)

山中章子(アナウンサー)

山田裕貴(俳優)

赤楚衛二(俳優)

鬼頭明里(声優)

にわみきほ(タレント)

 

奥田瑛二の学歴~出身大学(明治学院大学)の詳細

 

 

出身大学:明治学院大学 法学部(中退) 偏差値55(中の上)

 

 

 

奥田瑛二さんは高校卒業後は、明治学院大学に進学します。

 

在籍したのは法学部です。

 

高校3年生の時に俳優への夢を打ち明けますが、市議会議員を務めていた父親が猛反対します。

 

そのため父親の知り合いだった丹羽兵助衆議院議員(当時)の住み込みの秘書になることを条件に、上京することが許されました。

 

大学では演劇部に所属していました。

 

しかしその後に本格的に役者を目指すために、大学も秘書も辞めています。

 

26歳だった1976年に特撮ものの「円盤戦争バンキッド」で主演デビューを果たしましたが、その後は続かずに不遇時代を送っています。

 

 

その間は家賃が払えずにアパートから夜逃げしたり、代々木公園で3か月間も野宿生活をするなどしています。

 

しかし奥田さんは29歳で主演した映画「もっとしなやかに もっとしたたかに」(森下愛子とW主演)で注目を集めます。

 

 

そして1980年代には多くのテレビドラマに起用されて人気俳優となります。

 

 

現在までに数え切れないほどの作品に出演しており、高い人気を誇っています。

 

私生活では1979年に安藤和津さんと結婚し、長女の安藤桃子さんは映画監督、次女の安藤サクラさんは女優として活躍しています。

 

 

末永い活躍を期待したいところです。

 

 

スポンサードリンク

 

経歴/プロフィールの詳細

 

1976年にテレビドラマ「円盤戦争バンキッド」で主演デビュー。

1979年に出演した映画「もっとしなやかに、もっとしたたかに」で注目される。 

1980年代半ばからの「金曜日の妻たちにⅢ」や「男女七人夏物語」、「金曜日には花を買って」などのテレビドラマの出演で人気俳優となる。 

以降は数多くの作品に出演して、テレビドラマの代表作は「ひまわり」や「北条時宗」、「どんど晴れ」など。 

2001年の映画「少女」で映画監督デビューも果たしている。 

私生活では1979年に女優の安藤和津と結婚し、長女は映画監督の安藤桃子、次女は女優の安藤サクラ。



 

ここまでお読みいただきありがとうございました。ご質問やご意見などがございましたら、お手数をおかけしますがページ上の「お問い合わせ」よりお願いいたします。また出身校や偏差値情報などのリサーチには万全を期しているつもりですが誤りなどがあった場合はご指摘していただけると幸いです。なお返信はあるだけ早くおこなうようにしていますが、数日かかる場合があることをご了承ください。

関連記事一覧

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

目次