大東駿介の学歴|出身は堺工業高校!大学や中学校の偏差値や壮絶な生い立ち

 

人気俳優の大東駿介さんの出身高校の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。実は大東さんは両親が相次いで蒸発するなど、複雑な生い立ちをたどっています。学生時代のエピソードや情報なども併せてご紹介いたします

 

大東駿介(だいとう しゅんすけ)

 

 

1986313日生

身長182

血液型はA型

 

大阪府出身の俳優、タレント

本名は大東弘典(ひろのり)

旧芸名は大東俊介

 

以下では大東駿介さんの出身校の偏差値や学生時代のエピソードなどをご紹介いたします

 

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目次

大東駿介の学歴まとめ

 

出身大学:進学せず

出身高校:大阪府立堺工業高校

出身中学校:堺市立旭中学校

出身小学校:不明

 

大東駿介の学歴~出身小学校の詳細

 

出身小学校:不明

 

大東駿介さんの出身小学校は、地元大阪堺市内の公立校のようですが校名などは不明です。

 

ただし出身中学校の校区からは、以下の2校のいずれかの可能性がありそうです。

 

堺市立大仙小学校

堺市立神石小学校

 

ただし中学校に進学する前に実家が引っ越していることから、他の地域の小学校の出身かもしれません。

 

家族構成は両親と本人の3人家族です(ひとりっ子)。

 

父親は一時俳優をしていた時期があり、そのことも俳優を目指す上で大東さんに影響を与えたとインタビューで話しています。

 

大東さんが8歳の頃に父親は蒸発してしまい、以降は母親とともに母一人子一人の家庭に育っています。

 

このことについては大東さんは「親父に捨てられたわけじゃないけど、それに近い感覚」と述べています。

 

なお27歳か28歳の時に父親の消息が判明しましたが、その際には意地もあって会っていません。

 

ただし1年後に「やっぱり会おう」と思っていますが、その際には父親は既に亡くなっていました。

 

また母親はクリーニング店を営んで、家計を支えていました。

 

小学校時代の大東さんは活発で、グループでもリーダー格でした。

 

また毎年のように立候補して学級委員も務めており、模範的な生徒だったようです。

 

中学校に上がるタイミングで引っ越ししていますが、この頃から人見知りが激しくなったそうです。

 

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大東駿介の学歴~出身中学校(堺市立旭中学校)の詳細・生い立ちが壮絶

 

出身中学校:大阪府 堺市立旭中学校 偏差値なし

 

 

 

大東駿介さんの出身中学校は、地元堺市内の公立校の旭中学校です。

 

この中学校ではお笑いコンビ「金属バット」の小林圭輔さんと同級生で親友でした。

 

大東さんは中学時代は陸上部に在籍しており、短距離走などで活躍しています。

 

意外にも当時は極度の人見知りで、中学時代は女子とほとんど話ができなかったそうです。

 

また大東さんは中学時代に小学校時代に仲が良かった女子生徒に告白していますが、残念ながらフラれてしまっています。

 

その一方で小林さんら男子とは非常に仲が良く、中学時代は仲良し5人組でよく遊んだとのこと。

 

 

前記のように大東さんは小学校時代に父親が蒸発して母子家庭で育っていますが、中学2年生の時に今度は母親が蒸発してしまっています。

 

自宅の1階で営んでいたクリーニング店のシャッターが半開きになっており、母親の姿もなかったそうです。

 

その後も母親は帰って来ませんでした。

 

しばらくはひとり暮らしをしていましたが、かなり貧乏な生活を経験しています。

 

持っていたお金が尽きてからは食べることにも苦しくなって、駄菓子や先生からもらった菓子パンで飢えをしのぎました。

 

また小林さんら親友たちがガリガリに痩せていた大東さんを自宅に招いて、食事を振舞ったこともありました。

 

その後、近所のおじさんが母親が蒸発したことに気づき、それがきっかけで親せきに引き取られて育っています。

 

また年上の従兄弟が非常に面倒見がよく、親切でもあったことから、現在でも実の兄のように慕っています。

 

【主な卒業生】

横山やすし(漫才師)

加橋かつみ(歌手) 

 

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大東駿介の学歴~出身高校(大阪府立堺工業高校)・大学の詳細

 

出身高校:大阪府 堺工業高校 偏差値39(かなり容易)

※現在は堺工科高校

 

 

 

大東駿介さんの出身高校は、府立の共学校の堺工業高校です。

 

この高校は1936年開校の府立の工業高校でしたが、2005年に堺工科高校に改編されています。

 

また大東さんが在籍した当時も共学校でしたが女子はほとんど在籍しておらず、実質的には男子校でした。

 

大東さんは中学時代までは部活動に励んでいましたが、高校時代は帰宅部でした。

 

 

高校時代はバンドを組んで音楽活動に熱中しており、キーボードを担当していました。

 

また当時から映画好きで、高校時代には友人らとかなりの本数の映画を観ています。

 

さらに映画好きが昂じて同級生とパロディや即興劇をビデオで撮影しています。

 

ちなみに高校時代の大東さんは人見知りから、知らない人に対しては対人恐怖症だったそうです。

 

そのため当時は目が悪く眼鏡やコンタクトレンズを使用していましたが、あえてそれらをつけずに生活していたことをインタビューで述べています。

 

その一方で高校時代には俳優に憧れており、「役者になりたい」と周囲に言ったこともありましたが、「絶対にできない」と言われてしまったことをインタビューで述べています。

 

その際には悔しい思いもしたそうですが、大東さんは「やりたいことをやれない人生は嫌だ」と考えて高校3年生の進路相談の際に、俳優を目指して上京宣言をしています。

 

また同校の先生に「行って来ればいい!」と背中を押してもらったことも明らかにしています。

 

大学には進学していない

 

そして大東駿介さんは高校卒業後は、大学に進学していません

 

宣言通り高校卒業後に大阪から上京し、東京に住んでいた従兄弟の家に居候しています。

 

以降はアルバイトをしながら芸能事務所のオーディションを受けており、19歳だった2005年に「トップコート」が主催したオーディションでグランプリに輝いて芸能界入りしています。

 

同じ年にファッション誌「FINEBOYS」の専属モデルに起用されてデビューしています。

 

 

また同じ年にはテレビドラマ「野ブタをプロデュース。」で俳優デビューもしています。

 

 

そして23歳だった2009年にNHKの朝ドラ「ウェルかめ」にヒロインの倉科カナさんの相手役に抜擢されて、大きな注目を集めています。

 

 

以降は数々のテレビドラマや映画に出演して、人気俳優の地位を築いています。

 

以上が大東駿介さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。

 

幸運にも19歳の時に受けたオーディションに合格して芸能界入りし、いきなり連続ドラマにレギュラーでデビューを果たしています。

 

その後は順調にキャリアを重ねて、多くのドラマや映画に起用されています。

 

(新ミナミの帝王シリーズ)

 

脇役での出演が多いですが、主演映画も製作されており、舞台でも精力的に活動しています。

 

(望郷)

 

年齢的にも俳優として脂がのってくるころなので、さらなる飛躍も期待したいところです。

 

経歴/プロフィールの詳細

 

2005年に芸能事務所のオーディションで、グランプリを獲得して芸能界入り。 

同年のドラマ「野ブタ。をプロデュース」で俳優デビュー。 

2007年の「岸和田少年愚連隊」で映画初出演。 

2008年の「旅立ち」で映画初主演。 

2011年に所属事務所の移籍に伴い、芸名を「大東駿介」に改名。 

2012年の「ハイスクール歌劇団」でドラマ初主演。 

以降は「勇者ヨシヒコと悪霊の鍵」や「戦う!書店ガール」、「フリンジマン」などのドラマに出演。 

「望郷」や「ブレイブストーム」などの映画で主演。

 

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