山崎樹範の学歴と経歴|出身大学高校や中学校の偏差値と学生時代のエピソード

俳優の山崎樹範さんの出身高校や大学の偏差値などの学歴情報をお送りします。バイプレーヤーとして数多くの作品に出演している山崎さんですが、どのような学生生活を送っていたのでしょうか? 学生時代のエピソードや情報なども併せてご紹介します

 

山崎樹範(やまざき しげのり)

 

7

 

1974226日生

身長165

血液型はA型

 

東京都足立区出身の俳優

本名同じ

 

以下では山崎樹範さんの出身校の偏差値や学生時代のエピソードなどをご紹介いたします

 

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目次

山崎樹範の学歴まとめ

 

出身大学:獨協大学 法学部

出身高校:都立青井高校

出身中学校:足立区立第九中学校

出身小学校:足立区立梅島第二小学校

 

山崎樹範の学歴~出身小学校(足立区立梅島第二小学校)の詳細

 

出身小学校:東京都 足立区立梅島第二小学校

 

 

山崎樹範さんの出身小学校は、地元東京都足立区内の公立校の梅島第二小学校です。

 

家族構成は両親と2人の姉の5人家族です(3人きょうだいの末っ子)。

 

山崎さんは子供の頃からかなりのテレビっ子で小学3年生の時に学校で「どれだけテレビを観ているか」という調査をした際には、ダントツで1番になるほどでした。

 

ジャンルは問わずテレビドラマやバラエティー番組、スポーツなどを観ており、日曜日には父親と一緒に競馬番組も観ていました。

 

そしていつしか大好きなテレビの中に入りたいという思いが芽生えて、そのきっかけとして思いついたのはお芝居だったといいます。

 

山崎さんが小学3年生の時には親にバレないように児童劇団に応募をしたこともあり、一次試験を通過しました。

 

しかし当時は父親が経営をしていた会社が倒産をしており、二次試験に必要だった5,000円を親に欲しいと言えずに断念しています。

 

山崎樹範の学歴~出身中学校(足立区立第九中学校)の詳細

 

出身中学校:東京都 足立区立第九中学校 偏差値なし

 

 

山崎樹範さんの出身中学校は、地元足立区内の公立校の第九中学校です。

 

当時のこの中学校は荒れていて、ヤンキーが多かったそうです。

 

山崎さんは中学校時代に深夜のラジオ番組の「オールナイトニッポン」にハマって、遅刻の常習者だったことをインタビューで話しています。

 

【主な卒業生】

原田芳雄(俳優)

SUZU(ME:I)

 

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山崎樹範の学歴~出身高校(都立青井高校)の詳細

 

出身高校:東京都 青井高校 偏差値40(容易)

 

 

山崎樹範さんの出身高校は、都立の共学校の青井高校です。

 

この高校は1977年開校の都立高校です。

 

山崎さんは高校時代は帰宅部で、部活動などはおこなっていません。

 

学生時代は演劇部の発表などを見ると「いいな」と思いながら過ごしており、高校生の時には人生を諦めたような時期だった振り返っています。

 

この高校は卒業後に大学に進学をする人が少なかったこともあって、山崎さんも勉強はしていませんでした。

 

しかし親から大学進学を勧められたことで大学受験をしていますが、現役ではどこにも受かることはできなかったとのことです。

 

このことについてインタビューで次のように話しています。

 

「自分自身も勉強もしてなかったし、かといって手に職もない。漠然と地元の工場かなんかで働くのかなと思っていたぐらい。でも、親が大学進学を勧めてくれたんで、まあ、行けるんだったら行こうかなぐらいの気持ちで塾に行き、サボりながら麻雀とかしながら、結果、現役では全部落ちました。」

引用元:読売新聞

 

浪人生活中も予備校に通っていましたが、パチンコや麻雀をして全く勉強をしていませんでした。

 

ある時にいつも一緒にダラダラと過ごしている予備校仲間とフリーターの友人と話していたところ、フリーターの人が漫画家になると言い出したことから驚きました。

 

この時に初めて焦りを感じており、自身がお芝居をやりたかったことを思い出しています。

 

そしてまずは大学を受からなければ前に進むことができないと思って、ようやく勉強に取り掛かりはじめました。

 

【主な卒業生】

遠藤直人(元忍者)

 

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山崎樹範の学歴~出身大学(獨協大学)の詳細

 

出身大学:獨協大学 法学部 偏差値48(やや容易)

 

 

山崎樹範さんは高校卒業後は、1年間の浪人生活を経て獨協大学に進学しました。

 

在籍したのは法学部です。

 

山崎さんは入学式の翌日には演劇研究会に足を運んで入りました。

 

大学2年生の中盤あたりで次の部長を決める際に山崎さんの名前が挙がっていましたが、山崎さんは「1年半しかお芝居をしていない自分が何を教えるのだろう」と思い、ここに居てはいけないと思い劇団を受けるために見て回るようになります。

 

またかなり尊敬していた先輩が演劇研究会を辞めることになったこともきっかけとなって、山崎さんも辞めたようです。

 

加えてこの頃から役者で生計を立てたいという思いもあって劇団カムカムミニキーナのオーディションに参加をしており、このことについてはインタビューで次のように話していました。

 

「芝居を見て、「この劇団はすごい。大きくなるだろうな」と思った。テレビに出て行くずっと前ですが、八嶋智人さんは圧倒的にすごかった。こんな人いるんだなって。」

引用元:読売新聞

 

山崎さんは声が大きかったという理由でこの劇団のオーディションに合格しました。

 

 

そして山崎さんはこの劇団でお芝居にのめり込んでかなり厳しい稽古に打ち込みながら、アルバイトもしていたことから大学は2度の留年の末、卒業をしています。

 

実家の経済事情が厳しかったので学費は借金をして自分で支払っていましたが、完済したのは卒業から数年後でした。

 

以降も劇団の舞台俳優として活動するとともに、26歳だった2000年頃からテレビドラマに起用されはじめています。

 

そして2003年の「ドウニチラブ」で、テレビドラマに初主演しています。

 

以降は数多くのドラマや映画に出演し、ドラマでの代表作は「天体観測」やDr.コトー診療所」、「ラスト・フレンズ」などです。

 

 

タレントとしても「タモリ倶楽部」などのバラエティー番組に出演しています。

 

私生活では2016年に女優の吉井怜さんと結婚しています。

 

 

主演は少ないものの、安定感ある演技力と多くの役柄を演じ分けることができるため、様々な作品に顔を出しています。

 

貴重なバイプレーヤーですから、息の長い活躍を期待したいところです。

 

 

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