タレントのせんだみつおさんの出身高校や大学の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。「ナハナハ」のギャグで一世を風靡したせんださんですが、どのような学生生活を送っていたのでしょうか? 学生時代のエピソードや情報、若い頃のかっこいい画像なども併せてご紹介いたします
せんだみつお
1947年7月29日生
身長164㎝
血液型はO型
東京都出身(樺太生まれ)のタレント、コメディアン
本名は中野光雄(なかの みつお)
以下ではせんだみつおさんの出身高校や大学の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介いたします(
せんだみつおの学歴~出身小学校(日南市立吾田小学校・杉並市立西田小学校)の詳細
出身小学校:宮崎県 日南市立吾田小学校
※後に転校
せんだみつおさんが入学したのは、宮崎県日南市内の公立校の吾田(あがた)小学校です。
家族構成は両親と兄の4人家族です。
声優の千田光男さんとは血縁関係にありません。
せんださんは樺太で生まれましたが、1歳の時に父親の故郷である岩手県北上市に引き上げています。
その後に父親の仕事の都合で宮崎県日南市に移住して、この小学校に入学しています。
そして小学校2年生の時に、再び父親の転勤で東京都杉並区に移住しています。
その際には杉並区立西田小学校に転校しています。
せんださんは小学校3年生の頃から「劇団杉の子」に在籍して、子役として活動していました。
ただし子役として活動していたのは2年間のみです。
ちなみに小学校時代の成績は悪く、オール2でした。
せんだみつおの学歴~出身中学校(杉並区立松渓中学校)の詳細
出身中学校:東京都 杉並区立松渓中学校 偏差値なし
せんだみつおさんの出身中学校は、地元東京都杉並区内の公立校の松渓(しょうけい)中学校です。
中学時代は作詞・作曲家の穂口雄右さんも同学年に在籍していました。
穂口さんとは同じクラスになったことはありませんでしたが、家が近所だったことから仲が良かったそうです。
せんださんは中学時代は野球部に在籍して、部活動に打ち込んでいました。
ちなみに野球部でのポジションはセカンドでした。
【主な卒業生】
雨宮塔子(アナウンサー)
角川歴彦(角川書店元社長)
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せんだみつおの学歴~出身高校(法政大学第一高校)の詳細
出身高校:東京都 法政大学第一高校 偏差値69(難関・現在)
※現在は法政大学高校
せんだみつおさんの出身高校は、私立の男子校(当時)の法政大学第一高校です。
この高校は1936年開校の法政大学の系列の私立高校で、部活動が盛んなことで知られています。
また卒業生は原則として系列の法政大学に進学できるので現在では偏差値が跳ね上がっていますが、せんださんが在籍した当時は現在よりもレベルは下でした。
なお当時のこの高校は男子校でしたが2007年に男女共学化されて、校名も法政大学高校になっています。
せんださんはこの高校ではドラマーの田中清司さんと同級生でした。
また高校時代はバスケットボール部に在籍して、部活動に打ち込んでいました。
当時のこの高校には美術大学が隣接しており、美大の女子学生が通ると金網にむしゃぶりついて見ていたら、金網ごと倒れたというエピソードをインタビューで話しています。
なおこの高校は法政大学の系列校ですが、せんださんが入学した年から学年の人数が増えています。
そのため法政大学に内部進学できる生徒は60%になってしまい、せんださんは漏れてしまって法政大学に進学できませんでした。
法政大学に進学するためにこの高校に入学したこともあって、その際には母親に大泣きされたそうです。
【主な卒業生】
勝新太郎(俳優・中退)
石垣佑磨(俳優)
菅原知弘(テレビ朝日アナウンサー)
小沢光葵(TBSアナウンサー)
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せんだみつおの学歴~出身大学(駒沢大学)の詳細
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出身大学:駒沢大学 経済学部(中退) 偏差値50(普通・現在)
せんだみつおさんは高校卒業後は、駒沢大学に進学しています。
在籍したのは経済学部です。
なお現在のこの大学の経済学部は偏差値が50程度ですが、せんださんが在籍した当時は現在よりもレベルは下でした。
またせんださんはこの大学に入学したものの、大学2年生の夏に早くも中退しています。
大学中退後は服部栄養専門学校(偏差値なし)に入学して、調理師免許の取得を目指しています。
なおせんださんは専門学校には真面目に通学しており、調理師免許も取得しています。
また専門学校に通う傍ら、シンガーソングライターの浜口庫之助さんが主宰していた音楽学校にも通っていました。
この音楽学校では後にフォークデュオ「ビリーバンバン」を結成する菅原進さんらと4人でバンドを組んでいました。
そしてバンドにデビューの話が持ち込まれますが、「兄弟でやったほうが様になる」ということで菅原進さんが兄の菅原孝さんと「ビリーバンバン」としてデビューすることになり、せんださんはメンバーになれませんでした。
それでも「ビリーバンバン」の付け人兼司会者になると司会の際の軽妙なトークがウケて、井上陽水さんや吉田拓郎さんらの司会も務めるようになります。
そして22歳だった1969年には、ラジオ番組「ワゴンでデート」の司会に抜擢されます。
するとせんださんは1973年から司会として起用されたバラエティ番組「うわさのチャンネル」でブレイクしています。
以降も数多くのバラエティ番組に出演しています。
以上がせんだみつおさんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。
1970年代にブレイクして、「ナハナハ」のギャグで一世を風靡しています。
このところはメディアへの出演は減っていますが、タレントのほか俳優としても活動しています。
末永い活躍を期待したいところです。
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