人気ピアニストで俳優やタレントとしても活躍している清塚信也さんの出身高校や大学の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。清塚さんはまさにピアノ漬けといった学生時代を送っています。学生時代のエピソードや情報なども併せてご紹介いたします
清塚信也(きよづか しんや)
1982年11月13日生
身長非公表
血液型はB型
東京都出身のピアニスト、俳優
本名同じ
以下では清塚信也さんの出身高校や大学の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介いたします
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清塚信也の学歴まとめ
出身大学:桐朋学園大学 音楽学部付属ソリスト・ディプロマコース
出身高校:桐朋女子高校
出身中学校:調布市立第四中学校
出身小学校:不明
清塚信也の学歴~出身小学校の詳細
出身小学校:不明
清塚信也さんの出身小学校は、調布市内の公立校のようですが校名などは不明です。
ただし出身中学校の校区からすれば、以下の3校のいずれかの可能性が高そうです。
調布市立若葉小学校
調布市立滝坂小学校
調布市立調和小学校
家族構成は両親と2歳上の姉の4人家族です。
ちなみにお姉さんもヴァイオリニストとして活動しています。
また父親が日本人、母親が韓国人のハーフです。
清塚さんは母親の勧めで5歳の頃からピアノをはじめています。
母親のしつけが厳しかったことから小学校時代からピアノ中心の生活で、ゲームなどは禁止されていました。
清塚さんは小学校6年生の時に全日本学生音楽コンクール東日本大会の小学生の部で3位になっています。
清塚信也の学歴~出身中学校(調布市立第四中学校)の詳細
出身中学校:東京都 調布市立第四中学校 偏差値なし
清塚信也さんの出身中学校は、調布市内の公立校の第四中学校です。
中学1年生の時に出場したコンクールで予選落ちとなったことから、以降は毎日ピアノの練習を12時間以上もおこなっていました。
当時は朝5時に起きて、ピアノの練習をしてから学校に行っています。
またピアノの練習を優先させるために、学校を早退したこともあるほどです。
そんな猛練習の成果も出て、中学2年生だった1996年には「全日本学生音楽コンクール」のピアノの部(中学生の部)で1位となっています。
また中学時代は著名なピアニストの中村紘子さんにレッスンをしてもらっています。
【主な卒業生】
筒井道隆(俳優)
三浦翔平(俳優)
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清塚信也の学歴~出身高校(桐朋女子高校)の詳細
出身高校:東京都 桐朋女子高校 音楽科 偏差値56(超難関)
清塚信也さんの出身高校は、私立の共学校の桐朋女子高校音楽科です。
この高校は1941年開校の私立高校で、音楽科は名門として知られています。
この高校は女子校ですが、音楽科のみ共学となっています。
また筆記試験の偏差値は56ですが、音楽科は国内の音楽系の高校でも屈指のレベルを誇り実技試験も難しく入学は非常に困難です。
ヴァイオリニストの高嶋ちさ子さんも同校の音楽科の卒業生です。
清塚さんは高校時代は恩師に恵まれたことをインタビューで話しています。
「高校でもまた、いい先生に巡り会いました。加藤伸佳先生です。それまで大人の男の人を前にするとすごく緊張するので、苦手だったんですが、先生の細かいことにとらわれないところや、頑固で決して譲らないところに触れられたのはとても刺激になりました」
そして高校1年生だった1998年に東京交響楽団との共演でデビューしています。
また高校3年生だった2000年には「ショパン国際コンクールインアジア」で1位となっています。
このように清塚さんは高校時代も輝かしい実績を築いていますが、高校時代まではピアノ漬けであまり遊んでこなかったとも語っています。
とは言え高校時代の実績が評価されて、難関音楽大学に進学しています。
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清塚信也の学歴~出身大学(桐朋学園大学)の詳細
出身大学:桐朋学園大学 音楽部付属ソリスト・ディプロマコース 超難関
清塚信也さんは高校卒業後は、桐朋学園大学音楽学部付属ソリスト・ディプロマコースに進学しています。
このコースは演奏家として有望な者に高度なエリート教育を施す教育機関で、毎年10数名しか入学できません。
そのため実技試験が非常に難しく、東京藝術大学に次ぐレベルとも言われています。
なおこのコースは筆記試験もありますが音楽史や音楽理論で、一般的な科目ではないことから偏差値はありません。
清塚さんはこのような大学に現役で進学しており、当時からピアノの腕前は相当のものでした。
ところがこの大学に入学直後に自分が「ピアノマシーン」になっていることに気づいたとインタビューで話しています。
「ある時、自分がピアノ・マシーンになっていることに気付いたんです。自分にはピアノしかなくなっていた。先生をはじめとする大人たちに対する屈折した思いもあったし、周りの学生たちの音楽に対するいい加減な態度も許せなかった。その一方で、友人たちに正論を吐いては嫌われていく僕自身の人間性に対するコンプレックスもありました」
記事引用:OTTO
さらにこの頃信頼していた友人に裏切られたこともあり何もかも捨てたくなって、自分のことを誰も知らないモスクワ音楽院に留学しています。
モスクワ音楽院はパリ音楽院やジュリアード音楽院と並ぶ世界三大音楽院のひとつで、世界最高峰の音楽教育機関です。
清塚さんはこの音楽院で名教授のセルゲイ・ドレンスキーさんに師事して死にもの狂いで練習したとインタビューで話しています。
しかしピアノ以外に得られるものがなかったことから、酒を飲んだり放浪の旅に出たりして、結局はモスクワ時代の2年間は「何も得られなかった」と語っています。
帰国後はピアノさえも嫌いになってしまいましたが、清塚さんは人間性を改善しようと思い立ち、今までお世話になった人たちに挨拶に行くことで人脈を再構築していきました。
そんな努力もあって25歳だった2007年から映画音楽などの仕事を手掛けるようになっています。
またピアニストとしての熱意も取り戻し、年間200回を超えるコンサートもおこなっています。
さらに2013年に映画「さよならドビュッシー」の主演に起用されて、俳優としてもデビュー(橋本愛とW主演)。
以降もテレビドラマ「コウノドリ」などにも出演しています。
またこのところはタレントとしても積極的に活動しており、「ダウンタウンなう」などのバラエティ番組にも出演しています。
以上が清塚信也さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。
前記のように大学時代に大きな挫折も経験していますが、見事に人気ピアニストになっています。
また俳優やタレントとしても活動しており、数々のテレビ番組にも出演しています。
今後のさらなる活躍にも期待が高まります。
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