タレントのテリー伊藤さんの出身高校や大学の偏差値などの学歴情報をお送りします。コメンテーターとしても人気の高いテリーさんですが、どのような学生生活を送っていたのでしょうか? 学生時代のエピソードや情報、当時の画像なども併せてご紹介いたします
テリー伊藤(てりー いとう)

1949年12月27日生
身長174㎝
血液型はO型
東京都中央区出身のプロデューサー、タレント
本名は伊藤輝夫(いとう てるお)
以下ではテリー伊藤の出身高校や大学の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介します
スポンサードリンク
テリー伊藤の学歴まとめ
出身大学:日本大学 経済学部
出身高校:早稲田実業学校高等部
出身中学校:早稲田実業学校中等部
出身小学校:中央区立築地小学校
テリー伊藤の学歴~出身小学校(中央区立築地小学校)の詳細
出身小学校:東京都 中央区立築地小学校
※現在は中央区立京橋築地小学校
テリー伊藤さんの出身小学校は、地元東京都中央区内の公立校の築地小学校です。
この小学校は1992年に京橋小学校と統合されて、現在は中央区立京橋築地小学校になっています。
家族構成は両親と兄4人、姉の8人家族です(6人きょうだいの末っ子)。
(テリーさんは手前左)
実家は玉子焼き店「丸武」を経営しており、経済的に裕福な家庭で育っています。
住み込みの店員のほかにお手伝いさんもいたそうです。
テリー伊藤の学歴~出身中学校(早稲田実業学校中等部)の詳細
出身中学校:東京都 早稲田実業学校中等部 偏差値65(難関・現在)
テリー伊藤さんの出身中学校は、私立の男子校(当時)の早稲田実業学校中等部です。
この中学校は2002年に男女共学化されています。
この中学校には中学受験で入学しています。
テリーさんは中学校時代は帰宅部で、部活動などはおこなわなかったようです。
また中学校時代はアメリカの音楽にハマっています。
テリー伊藤の学歴~出身高校(早稲田実業学校高等部)の詳細
出身高校:東京都 早稲田実業高等部 偏差値75(現在・超難関)
テリー伊藤さんの出身校は、私立の男子校(当時)の早稲田実業高校です。
この高校は1901年開校の早稲田大学の系列の私立高校で、部活動が盛んなことで知られています。
特に硬式野球部は全国的な強豪です。
また卒業生は原則として系列の早稲田大学に内部進学できることからこのところは偏差値も跳ね上がっていますが、テリーさんの時代は商業科もあり、早稲田大学への進学者も少なかったため、普通レベルの高校でした。
高校時代も帰宅部で、部活動などはおこなわなかったようです。
テリーさんは高校生の頃からダンスをしており、当時のことについてはインタビューで次のように話しています。
「僕らのころはゴーゴーダンスとか、ツイストですよ。昔は湘南の海岸で夜に音楽を流していて、パーティーができたんですよ。ゴーゴー大会とかツイスト大会とか、そういうのに僕も出ていましたよ」
引用元:Sportiva
ただし高校時代はあまり真面目に勉強に打ち込んでおらず、何かにつけて学校をさぼっていたとのことです。
また学校の成績が悪かったことから、家庭教師が3人付けられていたこともあったようです。
【主な卒業生】
前澤友作(実業家)
日高光啓(AAA)
王貞治(元プロ野球選手・監督)
斎藤佑樹(元プロ野球選手)
黒見明香(乃木坂46)
テリー伊藤の学歴~出身大学(日本大学)の詳細
出身大学:日本大学 経済学部 偏差値50(普通)
テリー伊藤さんは高校時代は、日本大学に進学しています。
前記のように早稲田大学の系列の高校に通学していましたが、当時は内部進学率が30%程度であったことや学校の成績が悪かったことから早稲田大学には内部進学できずに、日本大学に進学しています。
在籍したのは経済学部です。
テリーさんは特に目標があったわけではありませんが就職をしやすいだろうと考えたことで経済学部に進んでいます。
大学時代にはフォークキャンパス同好会を結成しました。
また大学生の頃に学生運動に参加をしたことでデモ行進中の投石によって左目を負傷しており、失明は免れましたが斜視になっています。
テリーさんは自身の大学生活についてはインタビューで次のように語っていました。
「それでいざ大学に入ったら、あの頃は学生運動が活発で頻繁にデモで休講になっていた。俺は洋服と女の子が好きでデートばっかりして、勉強はおろか学生運動にすら身が入ってなかったわけですよ。そんななか、学生運動に巻き込まれて目を大怪我して落ち込んだりもして……。大学時代は総じて“やり残した感”があったんです。」
引用元:マネーポストWEB
また大学時代のテリーさんは流行に敏感なタイプで楽しいことをするのが大好きでした。
当時からパーティーやイベントの企画、友人の軽井沢の別荘でパーティーなどをしているうちに学生時代が過ぎ去ります。
テリーさんにとって大学生活で一番の思い出となったのが、大学2年生のときに自らが主催したフォークソング・コンサートでした。
テリーさんはいろんな大学の音楽部に足を運んでコンサートへの出演依頼やチケット販売、会場の手配などのすべてを手探り状態で進めており、かなり大変だったと振り返っていますが大変充実した時間だったようです。
頑張った甲斐もあってコンサートは満席となって大成功をしており、当日は司会を務めていたテリーさんは終演の緞帳が下がると涙が止まらなかったといいます。
テリーさんはこの時の感動を忘れられなかったことから、後にもう一度味わいたいと思った一心でエンターテインメントの世界に入って演出家を志すことになります。
また当時は周囲から「君は若いから何でもできる」などという言葉をたくさん言われており、テリーさんは若さが重荷だったと振り返っていました。
当時のことについてはインタビューで次のように話しています。
「当時の私は自分が将来何をやったら良いかを決める事も出来ずにいました。気が付けば同級生達の就職先はドンドン決まって行き、一人取り残され人生を彷徨う時間が続きとてもしんどかった。」
引用元:学生新聞
そして周囲の同級生たちが就職していく中でテリーさんは大学卒業後の進路を決めることができずに、就職せずに卒業をしています。
ちなみに実家には高校卒業したばかりの従業員が住込みで早朝から働いていたことから、何もしていない自分には居場所がなく居心地が悪かったため、当時交際していた彼女の家に転がり込みました。
24歳だった1973年にIVSテレビ制作に入社して、「びっくり日本新記録」のADなどを務めています。
36歳だった1985年に独立して制作会社を設立して、バラエティー番組「浅草橋ヤング洋品店」などを手掛けています。
40代半ばでタレントとして活動するようになり、1995年4月からラジオ番組「天才テリーの芸能ダマスカス」のパーソナリティを務めています。
俳優としても活動しており、2006年に映画「あおげば尊し」に主演して、「風林火山」や「龍馬伝」などのテレビドラマにも出演。
同年から情報番組「スッキリ!」のMCを担当しています(2015年3月まで)。
他にも「サンデージャポン」や「爆報フライデー」などのテレビ番組にレギュラー出演しています。
歯に衣着せぬコメントでワイドショーなどでも人気の高い人物ですから、末永い活躍を期待したいところです。
スポンサードリンク
ここまでお読みいただきありがとうございました。ご質問やご意見などがございましたら、お手数をおかけしますがページ上の「お問い合わせ」よりお願いいたします。また出身校や偏差値情報などのリサーチには万全を期しているつもりですが誤りなどがあった場合はご指摘していただけると幸いです。なお返信はあるだけ早くおこなうようにしていますが、数日かかる場合があることをご了承ください。


























