タレントの生島ヒロシさんの出身高校や大学の偏差値などの学歴情報をお送りします。数々のテレビ番組の司会を担当してきた生島さんですが、どのような学生生活を送っていたのでしょうか? 学生時代のエピソードや情報なども併せてご紹介いたします
生島ヒロシ(いくしま ひろし)
1950年12月24日生
身長168㎝
血液型はA型
宮城県気仙沼市出身のタレント、フリーアナウンサー
本名は生島博(読みは同じ)
以下では生島ヒロシさんの学歴や経歴、出身高校や大学の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介していきます
スポンサードリンク
生島ヒロシの学歴まとめ
出身大学:法政大学 経営学部(中退)→カリフォルニア州立大学ロングビーチ校
出身高校:宮城県立気仙沼高校
出身中学校:気仙沼市立気仙沼中学校
出身小学校:気仙沼市立気仙沼小学校
生島ヒロシの学歴~出身小学校(気仙沼市立気仙沼小学校)の詳細
出身小学校:宮城県 気仙沼市立気仙沼小学校
生島ヒロシさんの出身小学校は、地元宮城県気仙沼市内の公立校の気仙沼小学校です。
家族構成は両親と妹、2人の弟の6人家族です(4人きょうだいの長男)。
妹は東日本大震災で亡くなっており、上の弟は「生島企画室」の社長を務めていました。
父親は会社員で、母親は食堂を経営していました。
生島さんは小学校時代から野球に打ち込んでいました。
また当時の気仙沼市はサンマ漁でにぎわっており、そのため映画館がたくさんありました。
生島さんも小学校時代から映画をよく見ていました。
舞台挨拶で訪れた渡哲也さんや梶芽衣子さんなどの当時の映画スターを生で見たこともありました。
生島ヒロシの学歴~出身中学校(気仙沼市立気仙沼中学校)の詳細
出身中学校:宮城県 気仙沼市立気仙沼中学校 偏差値なし
生島ヒロシさんの出身中学校は、地元気仙沼市内の公立校の気仙沼中学校です。
中学校時代は陸上部に在籍して、部活動に打ち込んでいました。
陸上部では短距離走とリレーを担当していました。
スポンサードリンク
生島ヒロシの学歴~出身高校(宮城県立気仙沼高校)の詳細
出身高校:宮城県 気仙沼高校 偏差値54(普通)
生島ヒロシさんの出身校は、県立の男子校(当時)の気仙沼高校です。
この高校は1927年開校の県立校で、地元では古くから進学校として知られ難関大学に進学する卒業生もいます。
また生島さんが通学していた当時は男子校でしたが、2005年に県立の女子校の鼎が浦(かなえがうら)高校と統合されて男女共学になっています。
高校時代は空手部に所属しており、この経験が後にアメリカ時代に大いに役立っています。
また高校の同級生で同じ空手部には、実戦空手「大道塾」の創始者の東孝さんがいました。
気仙沼時代は「気仙沼のプリンス」と呼ばれて人気者だったとインタビューで話しています。
【主な卒業生】
村上弘明(俳優)
マギー審司(マジシャン)
スポンサードリンク
生島ヒロシの学歴~出身大学(法政大学・カリフォルニア州立大学)
出身大学:カリフォルニア州立大学ロングビーチ校 レベル 中の上
※法政大学経営学部(偏差値58)を中退
生島ヒロシさんの出身大学は、カリフォルニア州立大学ロングビーチ校です。
23校からなるアメリカでも最大級の規模のカリフォルニア州立大学の中で、3番目に規模の大きいのがロングビーチ校です。
生島さんはこの大学ではジャーナリズム科を専攻しています。
当初は法政大学経営学部に入学していますが、20歳の時の学生運動を境に突然大学を中退して渡米しています。
その時のエピソードを次のようにインタビューで語っています。
「松方弘樹さんの弟の目黒祐樹さんの留学体験談と、ある大学の先生が、留学で飛行機のなかで億万長者に会って、その人の家にずっと住み込んで大学を卒業したという本を読んで、海外留学を決意したの。
僕にもそういうことが起きるだろう。人にも起きることは自分にも起きると勝手に思っていて。その頃、色々と悩んでいたからね、学生運動のこともあって…。それでパパっと『よし、行く』って決めたんだけど、あの決断はやっぱりすごかった」
法政大学にも仕送りなしで通学しており、大学3年生の時にはアルバイトばかりやっていたので40万円ほどの貯金があったそうですが、当時は飛行機代が高くアメリカに着いた時には所持金は10万円ほどになっていました。
そのため植木屋や剪定などのアルバイトで生計を立てながら地元の短期大学に通学して、その後にこの大学に編入して24歳で卒業しています。
渡米時には英語も話せませんでしたが、それでも大学を卒業するとはたいしたものです。
(アメリカ時代)
また生島さんは空手が得意だったことから、アルバイトで空手ショーにも出演していますが、「アイ・アム・ブラックベルト(黒帯)」というだけでモテモテだったと語っています。
そのためアメリカ人女性とも交際していました。
また空手ショーではケイン・コスギさんの父親のショー・コスギさんとも出会っており、意気投合して一緒に巡業もしています。
(生島さんは右端。左端がショー・コスギさん)
現在の姿からは想像もつかないほど、生島さんの大学時代は豪快なものでした。
25歳だった1976年4月にTBSにアナウンサーとして入社して、同期には松宮一彦さんや鈴木順さんらがいます。
当初はラジオ番組で人気が上昇して、30歳だった1980年からテレビ番組に出演しはじめています。
TBS時代には「おはよう700」や「風雲!たけし城」、「アッコにおまかせ!」などに出演していました。
1989年3月にTBSを退職して、芸能事務所・生島企画を設立。
以降も「クイズタイムショック」や「ミュージックステーション」、「おはよう!ナイスデイ」などの司会を担当。
私生活では一般人女性と結婚しており、長男はタレントの生島勇輝さん、次男はダンサーの生島翔さんです。
以上が生島ヒロシさんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。
TBS時代に人気アナウンサーになりますが、フリー転身後にマンション投資に失敗して7億円もの借金を背負っています。
ところが経営する芸能事務所に所属の優木まおみさんがブレイクして、借金も完済しています。
また2人の息子もともに芸能人として活動しており、注目を集めています。
山あり谷ありの人生ですが、末永い活躍を期待したいところです。
スポンサードリンク
ここまでお読みいただきありがとうございました。ご質問やご意見などがございましたら、お手数をおかけしますがページ上の「お問い合わせ」よりお願いいたします。また出身校や偏差値情報などのリサーチには万全を期しているつもりですが誤りなどがあった場合はご指摘していただけると幸いです。なお返信はあるだけ早くおこなうようにしていますが、数日かかる場合があることをご了承ください。