俳優の渡辺いっけいさんの出身高校や大学の偏差値などの学歴情報をお送りします。名バイプレーヤーとして数多くの作品に出演している渡辺さんですが、どのような学生生活を送っていたのでしょうか? 学生時代のエピソードや情報、若い頃のかっこいい画像なども併せてご紹介いたします
渡辺いっけい(わたなべ いっけい)
1962年10月27日生
身長171㎝
血液型はB型
愛知県一宮町(現在は豊川市)出身の俳優
本名は渡辺一惠(かずよし)
以下では渡辺いっけいさんの出身高校や大学の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介します
スポンサードリンク
渡辺いっけいの学歴まとめ
出身大学:大阪芸術大学 芸術学部舞台芸術学科
出身高校:愛知県立国府高校
出身中学校:一宮町立一宮中学校
出身小学校:一宮町立大和小学校
渡辺いっけいの学歴~出身小学校(一宮町立大和小学校)の詳細
出身小学校:愛知県 一宮町立大和小学校
※現在は豊川市立一宮南部小学校
渡辺いっけいさんの出身小学校は、地元一宮町内の公立校の大和小学校です。
家族構成は両親と姉、妹の5人家族です。
子供の頃から絵を描くことが好きで時間を忘れて夢中になっており、当時から将来の夢は漫画家になることでした。
渡辺いっけいの学歴~出身中学校(一宮町立一宮中学校)の詳細
出身中学校:愛知県 一宮町立一宮中学校 偏差値なし
※現在は豊川市立一宮中学校
渡辺いっけいさんの出身中学校は、地元一宮町内の公立校の一宮中学校です。
中学時代は美術部に在籍をしていました。
中学生の頃には近所の友人と一緒に漫画家になることだけを考えており、すでにペンネームなども決めています。
そのためサブカルチャー雑誌「ビックリハウス」によく投稿をしていました。
【主な卒業生】
山本裕典(俳優)
スポンサードリンク
渡辺いっけいの学歴~出身高校(愛知県立国府高校)の詳細
出身高校:愛知県 国府高校 偏差値60(やや難関)
渡辺いっけいさんの出身高校は、県立の共学校の国府(こう)高校です。
この高校は1920年開校の県立校で、部活動が盛んなことで知られています。
渡辺さんは同校在学中は美術部に所属していました。
高校に入学後すぐの美術の時間に確実に自分よりも絵が上手いクラスメイトが2人もいたことから、渡辺さんは漫画家になる夢を諦めてしまいます。
渡辺さんは当時のことについてインタビューで次のように振り返っていました。
「小笠原君という天才。まだ15歳ですよ。彼が絵を描くと美術室でよどめきが起きましたからね。その子は後々日本一になるんですよ。大きな賞を受賞して。それにもうひとり、今絵描きになっている山口君。今海外とかで展覧会をやったりしているんですけど、確実に僕よりうまいやつがクラスに2人もいたので」
引用元:テレ朝POST
高校2年生の時の文化祭で同級生の女子にメイクをしてもらい、アイドルグループ「キャンディーズ」の格好で歌を披露しています。
それがウケたことで渡辺さんは「舞台に立つと、こんなに楽しいことが毎日あるんだ」と思い、役者を志す決心をしました。
渡辺さんは実力がないと役者にはなれないことが分かっていたため、文化祭の翌日に学校の図書館に足を運んで演劇を学ぶことができる大学を探しています。
また高校3年生の時に生徒会長を務めており、リーダーシップがあったようです。
【主な卒業生】
小林亜実(SKE48)
菅沼美帆(ファッションモデル)
スポンサードリンク
渡辺いっけいの学歴~出身大学(大阪芸術大学)の詳細
出身大学:大阪芸術大学 芸術学部舞台芸術学科 偏差値42(容易)
渡辺いっけいさんは高校卒業後は、大阪芸術大学に進学します。
同大は音楽、映像、放送、舞台など数々の芸術系の学部を設置して、プロフェッショナルを育成しています。
アニメ監督の庵野秀明さんや俳優の筧利夫さん、古田新太さんなども同大の出身者です。
渡辺さんは舞台俳優を目指して同大に進学して、舞台に関する学科を専攻しています。
渡辺さんはこの大学と日本大学の芸術学部を受験していますが、日本大学は落ちてしまったためこの大学に入学をしました。
大学3年生の時には学生劇団の「劇団☆新感線」に参加します。
そして渡辺さんが劇団「新感線」に入団をしたきっかけについては、インタビューで次のように話しています。
「1年生の年度末に『ロミオとジュリエット』の発表会があったんですが、それが進級試験も兼ねているんです。観客は親や先輩だけ。2つ上の先輩いのうえさんがオレの演技を見て、『なんか気持ち悪い奴がいる』と言って、新感線に勧誘してくれたんです」
引用元:ENCOUNT
同期には俳優の筧利夫さんが在籍をしていました。
当時の「新感線」は学生を中心に結成された劇団で、演出家のつかこうへいさんの劇をおこなっています。
渡辺さんは演技ができなかったことから、この劇団を主宰していた2つ先輩のいのうえひでのりさんから厳しい稽古を受けて、スパルタで演技力をしごかれています。
このことについてはインタビューで次のように振り返っていました。
「『一挙手一投足、オレが言った通りにやれ』と言った感じで、猿回しの猿でしたね。人間としての尊厳が損なわれるくらいの罵詈雑言を浴びせられました。今の御時世ならとがめられるレベルです(笑)」
引用元:ENCOUNT
そして舞台「蒲田行進曲」の4日間の公演を終えると拍手喝さいを浴びる高揚感もありましたが、同時に根拠のない自信が押しつぶされ公演後は、2週間ほど学校にも行けなくなるほどだったといいます。
公演後も台詞がひたすら回っており、このような感覚は後にも先にもこの時しかなかったとのことです。
つかこうへいさんの劇を一通りやり切ると、「新感線」は一度解散することになりました。
当時は大学4年生で渡辺さんはいのうえさんから「本当にプロの俳優になるのであれば、東京に行くべきだ」と上京を勧められています。
渡辺さんは自分が抜けた穴埋めのために後輩の舞台稽古を観ており、この時に出会ったのが俳優の古田新太さんでした。
古田さんは当時の「新感線」に興味は持っていませんでしたが、助っ人として出演してもらったところ、いのうえさんが気に入ったためその後は「新感線」の看板役者になっています。
なお渡辺さんは大学卒業後は上京しており、唐十郎さんが主宰する劇団「状況劇場」に入団しました。
ただし3年余りで状況劇場は退団してしまいます。
渡辺さんはその後は活躍の場をテレビドラマや映画に移しています。
すると30歳だった1992年に、石田ひかりさんがヒロインを務めたNHKの朝ドラ「ひらり」で人気を博しています。
以降は数多くのテレビドラマや映画に起用されています。
ドラマでの代表作は「税務調査官・窓際太郎の事件簿」、「京都地検の女」、「Liar Game」、「ガリレオ」などです。
現在まで数え切れないほどのドラマや映画に出演していますが、貴重なバイプレーヤーとしての演技も光りますから末永い活躍を期待したいです。
スポンサードリンク
ここまでお読みいただきありがとうございました。ご質問やご意見などがございましたら、お手数をおかけしますがページ上の「お問い合わせ」よりお願いいたします。