タレントのリリー・フランキーさんの出身高校や大学の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。俳優や文筆家としても活動しているリリーさんですが、どのような学生生活を送っていたのでしょうか? 学生時代のエピソードや情報なども併せてご紹介いたします
リリー・フランキー
1963年11月4日生
身長174㎝ 体重62kg
血液型はB型
福岡県北九州市出身のタレント、俳優、イラストレーター
本名は中川雅也(なかがわ まさや)
以下ではリリー・フランキーさんの出身高校や大学の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介いたします
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リリー・フランキーの学歴まとめ
出身大学:武蔵野美術大学 造形学部芸能デザイン学科
出身高校:大分県立芸術短期大学附属緑丘高校
出身中学校:宮田町立宮田中学校
出身小学校:不明
リリー・フランキーの学歴~出身小学校の詳細
出身小学校:不明
リリー・フランキーさんの出身小学校は、地元宮田町内の公立校のようですが校名などは不明です。
家族構成は両親がいることは分かっていますが、きょうだいの有無については情報がなく不明です。
父親はデザイン関係の仕事をしていたことから、リリーさんも子供の頃から絵を描くことが好きでした。
また子供の頃に漫画家に憧れてノートに漫画を描いていたといいます。
両親は別居はしていましたが、離婚はしていない状態でした。
リリーさんの父親との最後の記憶は、寝ていた時に酔っぱらった父親に飲み屋でお土産にした焼き鳥を無理やり食べさせられたというエピソードだそうです。
両親の別居後は、夏休みなどだけ父親に会いに行くようになりました。
リリー・フランキーの学歴~出身中学校(宮田町立宮田中学校)の詳細
出身中学校:福岡県 宮田町立宮田中学校 偏差値なし
※現在は宮若市立宮若東中学校
リリー・フランキーさんの出身中学校は、地元福岡県宮田町内の公立校・宮田町立宮田中学校です。
この中学校は宮若市立宮田中学校になった後に、2013年に光陵中学校と統合されて宮若市立宮若東中学校になっています。
中学時代は野球部に在籍して、部活動に打ち込んでいました。
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リリー・フランキーの学歴~出身高校(大分県立芸術短期大学附属緑丘高校)の詳細
出身高校:大分県 大分県立芸術短期大学附属緑丘高校 美術科 偏差値46(やや容易)
※現在は大分県立芸術緑丘高校
リリー・フランキーさんの出身高校は、県立の共学校の大分県立芸術短期大学附属緑丘高校です。
この高校は1948年開校の芸術分野に特化した高校で普通科はなく、音楽科と美術科のみを設置しています。
ちなみに公立校で芸術系専門の学校は珍しく、同校を含めても国内に2校しかありません。
また2005年4月より大分県立芸術緑丘高校に校名が変更されています。
リリーさんは福岡県から越境入学して、この高校の美術科に在籍していました。
そのため高校3年間はひとり暮らしをしていました。
高校時代は帰宅部で、部活動はおこなっていません。
その一方で当時はバイクにハマっていました。
意外にも高校まで、学校は好きではなく、常に行きたくないと思っていました。
また遅刻も多く当時のことについてはインタビューで次のように話しています。
「小中高とちゃんと定時に行ったことがあるのかと思うぐらいずっと遅刻してました。学校のすぐ近所に住んでましたけど。」
【主な卒業生】
にしきのあきら(歌手)
大塚博堂(シンガーソングライター)
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リリー・フランキーの学歴~出身大学(武蔵野美術大学)の詳細
出身大学:武蔵野美術大学 造形学部芸能デザイン学科 偏差値53(難関)
※現在は空間演出デザイン学科
リリー・フランキーさんは高校卒業後は、武蔵野美術大学に進学しています。
この大学は学科試験こそ普通レベルですが、実技試験が難しい難関美術大学です。
前記のようにリリーさんは美術系の高校に通っており、上京をしたかったためこの大学に進みました。
リリーさんは父親に勧められて東京の大学に進んでおり、このことについてはインタビューで次のように話していました。
「田舎は炭鉱の町だったのですが、閉山した後は町全体が疲弊しきっていて、15歳や18歳なりに考えて『ここにいてどうする』と思ったんですよ。そんなとき、親父から『東京の大学へ行っていろいろなものを見て来い。いろいろな人がいて、いろいろなものの考え方をする奴らがいるのを見て来い』と、ゲイバーで言われました(笑)」
記事引用:マウジン
そのため上京をするために必ずしも大学に進学しなくても良いと考えており、受験をしたのはこの大学だけでした。
もし落ちていたら大学進学はせずに働こうと思っていたと振り返っています。
またリリーさんが芸能デザイン学科に入ったきっかけについては、次のように語っています。
「最も一般の職業に直結していない学科だと思ったから。例えば同学科で学べる舞台美術は、大学案内を見たとき、工業デザインや商業デザインなどとは違って、浮世離れした感じがしたんです。そもそも美大というものは、世捨て人の集まりだろうと思っていましたから(笑)。」
記事引用:マウジン
とは言え実際は思い描いていたイメージとは違い、上京した当初は劣等感がありました。
これまで田舎では見たことがないようなものに溢れており、方言も通じなかったとのことです。
また大学時代はかなり遊んでおり、リリーさんはファミコンに熱中をしたことで留年をして卒業までに5年かかっています。
このことについては次のように話していました。
「俺の場合は就職どころか留年したんですけどね。原因は、テレビゲームにはまっていたから(笑)。卒業制作はスーパーマリオブラザーズの世界を表現したもので」
記事引用:マウジン
当時はバブルだったこともあって周囲の同級生は、内定を3社は貰っていました。
なおリリーさんは大学在学中に就職先を決めておらず、卒業後は5年間ほど何もしていなかったとインタビューで明かしています。
別のインタビューでは、大学卒業後は友人や知り合いからイラストや原稿を書く仕事をもらって、細々と生活をしていたとのことで、お金が足りなくなり消費者金融から借金をしたこともあったとのことです。
とは言え31歳だった1994年に「ぴあ」に掲載していたエッセイ「あっぱれB級シネマ」で、エッセイストとして注目を集めます。
その後の活躍は目覚ましく、イラストレーターやアートディレクター、小説家、俳優、タレントと数え切れないほどの肩書を持ち、かなり多方面でマルチに活躍しています。
今後の活動にも注目ですね。
以上がリリー・フランキーさんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。
当初はエッセイストとして注目を集めましたが、その後はタレントや俳優など多岐にわたって活躍しています。
現在では非常に多種多様な顔を持つ稀有な人物であることから、末永い活躍を期待したいところです。
経歴・プロフィールの詳細
1994年から雑誌「ぴあ」に掲載していたコラム「あっぱれB級シネマ」が好評で、広く知られることになる。
2000年ごろからタレントとしてテレビ出演が増えて、「ココリコミラクルタイプ」などのレギュラーを務める。
2004年の映画「盲獣vs一寸法師」で俳優デビューし、「モテキ」や「アフロ田中」、「きいろいゾウ」などの映画に出演。
2005年に発表した小説「東京タワー」が200万部を超えるベストセラーとなる。
2006年にタレントの安めぐみと音楽ユニット「リリメグ」を結成し、メジャーデビュー。
2010年の「コード・ブルー」でドラマ初出演し、「龍馬伝」や「モテキ」、「女子高警察」などにも出演。
2014年の「55歳からのハローライフ」でドラマ初主演。
2016年の「シェル・コレクター」で映画初主演。
タレントとして「ワンダフルライフ」や「真夜中」などの番組のMCを担当。
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