タレントの川平慈英さんの出身高校や大学の偏差値などの学歴情報をお送りします。実は川平さんはサッカーが得意で、学生時代はプロのサッカー選手を目指していました。学生時代のエピソードや情報、若い頃のかっこいい画像なども併せてご紹介いたします
川平慈英(かびら じえい)
1962年9月23日生
身長170㎝
血液型はA型
沖縄県出身のタレント、俳優、スポーツキャスター
本名同じ
以下では川平慈英さんの出身高校や大学の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介していきます
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川平慈英の学歴まとめ
出身大学:玉川大学(中退)→テキサス州立大学(中退)→上智大学 比較文化学部
出身高校:玉川学園高等部
出身中学校:玉川学園中等部
出身小学校:那覇市立城西小学校→世田谷区立九品仏小学校
川平慈英の学歴~出身小学校の詳細
出身小学校:沖縄県 那覇市立城西小学校
※後に東京の小学校に転校
川平慈英さんが入学したのは、那覇市内の公立校の城西小学校です。
家族構成は両親と3人兄弟の5人家族です。
ナビゲーターのジョン・カビラさんと実業家の川平謙慈さんは、いずれも実兄です。
父親は大学教授の日本人、母親は英語教師のアメリカ人の家庭に育っています。
8歳の時からは母親の実家であるカンザス州の農園に1年半ホームステイしています。
アメリカ時代にサッカーをはじめており、帰国後もサッカーを続けています。
10歳の時に一家で那覇市から東京に移住しています。
そのため世田谷区立九品仏小学校に転校して卒業しています。
川平慈英の学歴~出身中学校(玉川学園中等部)の詳細
出身中学校:東京都 玉川学園中等部 偏差値46(やや容易)
川平慈英さんの出身中学校は、私立の共学校の玉川学園中等部です。
この学校には中学受験をして進学しています。
中学校時代はサッカー部に在籍してサッカーに打ち込んでいました。
また当時から英語が堪能だったことから、英語劇部にも在籍していました。
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川平慈英の学歴~出身高校(玉川学園高等部)の詳細
出身高校:東京都 玉川学園高等部 偏差値58(中の上)
川平慈英さんの出身高校は、私立の共学校の玉川学園高等部です。
この高校は自由な校風で知られ、芸能活動も認めているので多くの芸能人の子息が在籍したことで知られています。
川平さんは高校時代から読売クラブのユースに所属して、サッカーに打ち込んでいました。
チームはクラブチームの全国大会に出場して優勝するほどで、当時は本気でサッカー選手になろうとしていました。
「高校では読売サッカークラブに在籍しました。キャリアのピークは高校2年の時、ユースの大会で三菱養和と同点優勝した時ですね。実は延長戦でヘディングシュートを決めているのですが、キーパーチャージを取られて。悔しかった!」
またその他にも英語劇部に所属して、文化祭でミュージカルやパントマイムに出演するなど人気者でした。
英語劇部では「ウェストサイド物語」などのミュージカルの舞台に出演しています。
【主な卒業生】
DAIGO(タレント・ミュージシャン)
池上季実子(女優)
川上麻衣子(女優)
藤田朋子(女優)
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川平慈英の学歴~出身大学(上智大学)の詳細
出身大学:上智大学 比較文化学部 偏差値63(やや難関)
※現在は国際教養学部
川平慈英さんの高校卒業後の学歴は華々しく、まずは高校の系列の玉川大学文学部芸術学科(偏差値49)に内部進学します。
しかしすぐに中退してアメリカのテキサス州立大学にサッカー留学して、全米ベストイレブンに選ばれるほどの活躍を見せます。
当時の川平さんは読売クラブ(現在のベルディ東京の前身)のユースにも所属しており、プロサッカー選手になるための留学でした。
ただしテキサス州立大学では新任のサッカー部の監督と意見対立したことから、短期間で中退しています。
「監督が変わり、彼のサッカースタイルと僕のスタイルが合わず、シーズン途中で戦力外通告——聞いた瞬間、「シャリーン」と頭の中で挫折の音がしました(笑)」
そして帰国後は上智大学に編入して、同大を卒業しています。
上智大学に入学した当時は既にプロサッカー選手になることは諦めており、英語の教員免許を取得して、将来はサッカー部の顧問になろうと思っていました。
大学時代はサッカー同好会の「イーグル」に入会して楽しむサッカーをしています。
をやらずに東京学生英語劇連盟に入り、英語劇やミュージカル「ロミオとジュリエット」や「アニー」、「フェイム」などにも出演していました。
「あるとき、僕がもともと演劇をやっていたことを知っている友人が、学生英語劇連盟のミュージカル『フェイム』のチラシを見つけて渡してくれたんです。映画版は何度も観ている大好きな作品だし、久しぶりに血が騒ぎました。見ると、オーディションは翌日。課題曲のテープなど準備は何もしていないけれど、ダメモトでとにかく参加を決めました」
川平さんは大学卒業後は主に舞台俳優として活動していましたが、ハーフの顔立ちが敬遠されてなかなかテレビドラマや映画の仕事はありませんでした。
そんな中ニュースステーションの話が来たとインタビューで述べています。
「テレビドラマや映画となると、僕みたいなバタくさい顔は難しく、なかなかチャンスが訪れませんでした。そんななか、『ニュースステーション』のサッカー・キャスターのお話をいただいたんです」
ただし当初はこの話を断っており、兄のジョン・カビラさんの後押しがあって出演を決めたと話しています。
「あくまで役者でいたかった僕は、何度もお断わりしました。でも、最後は兄貴のジョンが、「キャスターという役を演じるステージだと考えればいいじゃないか。ショービジネスの世界ではまず顔と名前を覚えてもらうことが大切だ」と背中を押してくれた。そして出てみたら、これが楽しかった(笑)」
31歳だった1993年にニュースステーションのスポーツコーナーに抜擢されたことで知名度を大いに上げ、以降はタレントとして数々のテレビ番組に出演しています。
また俳優としても活動しており、NHKの朝ドラ「ちゅらさん」などに出演しています。
以上が川平慈英さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。
現在もタレントやキャスターとしての活動のほか、俳優やナレーターなどかなり精力的に活動しており、数多くのテレビ番組やCMに出演しています。
今後の活躍にも注目ですね。
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経歴・プロフィールの詳細
当初は俳優として活動し、1989年に映画「ガンヘッド」、テレビドラマ「ブルースはお好き」でそれぞれ初出演。
1991年に「WOWOWスーパーサッカー」のキャスターに就任。
1993年にオーディションを経て「ニュースステーション」のサッカーキャスターとなって知名度を上げる。
1994年から子供番組「ポンキッキーズ」にレギュラー出演(1997年まで)
その後は「黄金筋肉」や「ミューズの楽譜」などの司会を務める傍ら、ナレーターやCMにも多く起用されている。
2016年の「手をつないでかえろうよ」で映画初主演。
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