お笑いタレントの野沢直子さんの出身高校の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。人気絶頂期にすべてのレギュラー番組を降板して渡米した野沢さんですが、どのような学生生活を送っていたのでしょうか? 学生時代のエピソードや情報、若い頃のかわいい画像なども併せてご紹介いたします
野沢直子(のざわ なおこ)
1963年3月29日生
身長158㎝
血液型はB型
東京都出身のお笑いタレント
本名はナオコ・オークライヤー
以下では野沢直子さんの出身校の偏差値や学生時代のエピソードなどをご紹介いたします
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野沢直子の学歴まとめ
出身大学:進学せず
出身高校:東京農業大学第一高校
出身中学校:渋谷区立代々木中学校
出身小学校:中央区立久松小学校→渋谷区内の小学校
野沢直子の学歴~出身小学校(中央区立久松小学校)の詳細
出身小学校:東京都 中央区立久松小学校
※後に転校
野沢直子さんが入学したのは、中央区内の公立校の中央区立久松小学校です。
家族構成は両親と弟の4人家族です。
父親はかなり自由人で家族みんなが振り回されており、事業を起こしても仕事が続かずに決して裕福な暮らしではなかったといいます。
野沢さんは成績はあまり良くありませんでしたが、生きていくことに精一杯だった両親に怒られることはありませんでした。
しかし小学4年生の時に父親から「これからの時代は女性も手に職をつけることが大事だ」と言われています。
野沢さんはこの言葉にはとても感謝しており、女性の幸せは結婚をすることが一番だと考える人が多かった時代にこの生き方を子供に教えられるのはすごいと思ったことを明かしました。
また自身の小学校時代についてはインタビューで次のように話しています。
「早生まれだったこともあって最初はみんなについていけず、家では元気なのに外ではおとなしい、かなり内弁慶な子でした。」
しかし小学3年生の時に転校をして性格に変化が生まれたそうで、次のように語っています。
「ある日の『お楽しみ会』で、友だちのお母さんのものまねをしたらすごくウケて。そのときの快感が忘れられなくて、人前で何か面白いことをしたり笑いをとったりすることが好きになりました。」
なお転校先の小学校は渋谷区内の公立校のようですが校名などは不明です。
小学校を卒業前にはみんなの前でコントや漫才をやるほど、クラスのお調子者になっていたと言います。
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野沢直子の学歴~出身中学校(渋谷区立代々木中学校)の詳細
出身中学校:東京都 渋谷区立代々木中学校 偏差値なし
野沢直子さんの出身中学校は、地元東京都渋谷区内の公立校・渋谷区立代々木中学校です。
俳優の小沢仁志さんとは中学時代の同級生でした。
野沢さんは中学時代はイギリスのバンド「ベイ・シティ・ローラーズ」の熱狂的なファンで、来日した際には追っかけをしていました。
【主な卒業生】
あおい輝彦(俳優)
野田秀樹(演出家)
吉永小百合(女優)
山田涼介(Hey!Say!JUMP)
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野沢直子の学歴~出身高校(東京農業大学第一高校)・大学の詳細
出身高校:東京都 東京農業大学第一高校 偏差値50台前半程度(当時)
野沢直子さんの出身高校は、私立の共学校の東京農業大学第一高校です。
この高校は1949年開校の東京農業大学系列の私立高校です。
同校は現在は進学実績が向上して偏差値も65程度の難関校となっていますが、野沢さんの在学時は今ほど偏差値も高くはありませんでした。
野沢さんは高校時代はバレーボール部に在籍をしていました。
バレーボール部では先輩に怒られるたびに「しゃーせん(すいません)、しゃーせん(すいません)」と謝っていたことから、先輩からは「のざこのしゃーせんは聞き飽きたんだよ!」とよく怒られていました。
野沢さんの中学・高校時代のあだ名は「のざこ」でした。
また当時から「アルプスの少女ハイジ」のものまねをすでにやっていたことを自身のブログで明かしていました。
野沢さんは高校1年生のときに好きだった男子に自分から告白をして交際に発展しています。
女子3人と男子3人でトリプルデートをした際にファーストキスを経験しており、唇が触れた瞬間に「お豆腐みたい」と感じたそうです。
また父親は厳格だったことから、自宅に男子から電話がかかってくると切られていました。
当時の父親の教育方針は「20歳になるまでは子供の人格は認めない、嫌なら出ていけ」だったようです。
高校2年生の時には母親が急死しており不幸に見舞われました。
また野沢さんは当時から芸能界志向で、高校時代にアイドル歌手を目指して「スター誕生」の予選を受けましたが落選しています。
高校3年生だった1980年に同級生に誘われて、テレビ東京「素人漫才コンテスト」に出場したことがきっかけでお笑いの道を志すようになりました。
野沢さんは当初は賞金欲しさにこのコンテストに出場しましたが、オーディションに合格をして本格的にお笑いをやりたいと思うようになったと明かしています。
ちなみにこの時の賞金は58万円でした。
また高校時代に所ジョージさんが司会をしていた「ドバドバ大爆弾」に出演したことがきっかけで、後のデビューにつながっています。
なお野沢さんは高校時代の学校の成績は悪く、480人中460番だったことを明らかにしています。
【主な卒業生】
野村大貴(ファッションモデル)
DJ KHONO(ケツメイシ)
永井雄一郎(サッカー元日本代表)
大学には進学していない
なお野沢さんは高校卒業後は大学には進学していません。
野沢さんは高校時代にスカウトをされていますが、前述したように父親が厳格だったことから20歳になり成人してからデビューをしています。
24歳だった1987年から、バラエティ番組「笑っていいとも!」のレギュラーに起用されています。
1988年にはバラエティ番組「夢で逢えたら」に出演して、共演者だった「ダウンタウン」や「ウッチャンナンチャン」とともにブレイクしています。
野沢さんは以降は数々のバラエティ番組に起用される人気お笑いタレントになっています。
しかし人気絶頂期だった1991年3月に日本での活動を休止してレギュラー番組をすべて降板し、単身で渡米しています。
渡米をしたのは「夢で逢えたら」で共演していたダウンタウンらのお笑いのセンスに自信をなくしたことが理由であったと、後のインタビューで明らかにしています。
以降はアメリカに在住して、国内での活動もマイペースになります。
それでもたびたび来日してバラエティ番組などに出演してファンを喜ばせています。
また2021年にはYOUTUBEに公式チャンネルを開設しています。
こちらでは家族や料理の動画が人気になっています。
以上が野沢直子さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。
全盛期の人気はすさまじくテレビで見ない日はないほどでしたが、突然渡米しています。
とは言え現在でもスポット的にバラエティー番組などに出演して、さらには小説家としても活動をしています。
多方面でマルチな才能を発揮しているので、今後にも注目です。
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経歴/プロフィールの詳細
叔父は声優の野沢那智、長女は格闘家の真珠オークライヤー。
素人参加番組「ドバドバ大爆弾」に出演したことがきっかけで、1983年にデビュー。
「ひょうきん予備校」や「夕焼けニャンニャン」などの出演で人気が上昇。
1984年のドラマ「気分は名探偵」で女優デビューし、「赤胴鈴之助」などにも出演。
1987年から「笑っていいとも!」のレギュラーを務める(1991年3月まで)
他にも「夢で逢えたら」などの人気バラエティー番組にも多数出演。
また歌手としてもデビューしており、4枚のシングルとアルバムをリリースしている。
1991年3月にすべてのレギュラー番組を降板して渡米。
フランス系アメリカ人のギタリストと結婚後は、拠点をアメリカに移して、仕事のたびに来日している。
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