貴乃花光司さんの出身校の偏差値や学生時代のエピソードなどをご紹介いたします。現役時代は大横綱として一時代を築いた貴乃花さんですが、どのような学生生活を送っていたのでしょうか? 学生時代のエピソードや情報、若い頃のかっこいい画像なども併せてご紹介いたします
貴乃花光司(たかのはな こうじ)

1972年8月12日生
身長185㎝、体重73㎏
血液型はO型
東京都出身のタレント、元大相撲力士・親方
本名は花田光司(はなだ こうじ)
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貴乃花光司の学歴~出身小学校(杉並区立松ノ木小学校)の詳細
出身小学校:東京都 杉並区立松ノ木小学校

貴乃花光司さんの出身小学校は、地元東京都杉並区内の松ノ木小学校です。
父親は元大関の貴ノ花利彰さんで、母親は元タレントの藤田紀子さん、兄は元横綱の花田虎上(まさる)さんです。

父親は名大関で家庭でもかなり厳しく、貴乃花さんも子供の頃から礼儀などに関して細かく言われていました。
また母親からも厳しく躾けられており、挨拶や食事を残すこと、靴を脱ぎっぱなしにすることなど生活面で指導されていたようです。
貴乃花さんは子供の頃から相撲の才能を見込まれており、父親から指導を受けて体作りをおこなってきました。
また小学生の頃から朝稽古などをしており、遊びよりも将来相撲に直結するような生活を送っていたそうです。
とは言え父親は貴乃花さんに力士ではなく、一般人として生計を立てられるように育てたかったようです。
小学3年生の時にわんぱく相撲大会に出場をした際には、貴乃花さんはレクリエーション気分だったことからすぐに負けており、父親からは「勝つ負けるはどうでもいいが、笑ってやっては駄目だ」と言告げられました。
そして貴乃花さんは1981年に父親が現役引退をしたことで、相撲により身を入れるようになりました。
貴乃花さんも将来的には相撲の世界に入って父親が果たせなかった夢を実現させるという目標に向かって、稽古に打ち込む日々を送っています。
そして小学4年生だった1982年にわんぱく相撲の全国大会で優勝して、わんぱく横綱となりました。

ちなみに貴乃花さんは小学4年生の時にはすでに身長は160cmで体重は80kgあり、体が大きかったことから「ジャイアン」というあだ名がついていました。

また当時からずば抜けた身体能力を発揮しており、かなり運動神経が良かったようです。
小学4年生から小学6年生まで担任だった滝川先生によると、当時の貴乃花さんは「ドッジボールでやられると誰が当てたかを覚えていて、絶対に仕返しする」「習字も上手で、当時からサインの練習をしていた」と話しています。
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貴乃花光司の学歴~出身中学校(明治大学付属中野中学校)・高校の詳細
出身中学校:明治大学附属中野中学校 偏差値60(現在・やや難関)

貴乃花光司さんの出身中学校は、私立の男子校の明治大学付属中野中学校です。
この中学校は1929年開校の明治大学の系列の私立中学校です。
現在の同校は大学の系列校の人気も手伝って偏差値も60程度に上昇していますが、貴乃花さんが在籍した当時は現在ほどのレベルではありませんでした。
また同校の相撲部は全国大会の常連で、多くの大相撲力士を輩出していることで知られています。
貴乃花さんの同校進学も、相撲のスポーツ推薦のような形だったと思われます。
中学時代は相撲部に在籍をしていました。
同相撲部で武井美男監督から廻しの切り方などの技術面の指導を受けた。このことが、のちの躍進に大きく寄与したとされている。
中学校3年間での学生相撲の成績は約40勝1敗だったそうで、この頃にはプロとして相撲の道に進む下地ができていました。
貴乃花さんはもともとは教員を志望しており、相撲部の監督だった武井美男さんからも教員になって相撲の指導者になることを期待されていたそうです。
しかし相撲部で思うような結果を残すことができなかったことから、「このままでは学校にも先生にも顔向けできない」という危機感を胸に角界入りを目指すことになりました。
そのため貴乃花さんは高校には進学せずにプロ相撲の道に進んでおり、父親が師匠を務める藤島部屋に15歳で入門をしています。
父親は息子を弟子にすることを嫌がり「甘やかすことはできない。親子の縁は切るぞ」と言われましたが、貴乃花さんは躊躇することはありませんでした。
【主な卒業生】
坂口憲二(俳優)
勝地涼(俳優)
若旦那(湘南乃風・転校)
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高校には進学していない
中学相撲で活躍後は15歳の時に父親が師匠を務める藤島部屋に入門したため、高校へは進学していません。
中学校を卒業した1988年3月に、藤島部屋所属力士として貴花田のしこ名で初土俵を踏んでいます。

するとわずか2年半後の1990年5月場所で新入幕を記録するスピード出世を遂げています。
1991年5月場所で当時の横綱の千代の富士を破り、以降は兄の若花田さんとともに「若貴フィーバー」を引き起こしています。

1993年には当時人気女優だった宮沢りえさんとの婚約解消が大きな話題となっています。
そして22歳だった1994年11月場所で、第65代横綱に昇進しています。

さらに1995年にアナウンサーの河野景子さんと結婚し、長男の花田優一さんが誕生しています。

大相撲力士としては2003年の1月場所で引退するまで、幕内優勝22回を記録しています。
引退後も日本相撲協会の理事にまでなりましたが、弟子の暴行問題をきっかけに平年寄に降格。
さらには相撲協会が無所属の親方を認めず一部の一門が受け入れを拒否したことから、46歳だった2018年9月に協会退職となってしまいました。
とは言え以降はタレントとして活動しており、たびたびメディアにも出演しています。
現役時代は大横綱として絶大な人気を誇った人物だけに、今後のさらなる飛躍にも期待が高まります。
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