「omoinotake」の藤井怜央さんの出身高校や大学の偏差値などの学歴情報をお送りします。バンドではボーカルを務める藤井さんですが、実は勉強も得意で進学校から有名大学に進んでいます。学生時代のエピソードや情報なども併せてご紹介いたします
藤井怜央(ふじい れお)
1992年11月25日生
身長非公表
血液型はB型
島根県松江市出身のミュージシャン
「omoinotake」のボーカル兼キーボード
本名同じ、愛称は「レオ」
以下では「omoinotake」藤井怜央さんの出身高校や大学の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介いたします
スポンサードリンク
藤井怜央の学歴まとめ
出身大学:中央大学 総合政策学部
出身高校:島根県立松江北高校
出身中学校:松江市立第三中学校
出身小学校:松江市立雑賀小学校
藤井怜央の学歴~出身小学校(松江市立雑賀小学校)の詳細
出身小学校:島根県 松江市立雑賀小学校
藤井怜央さんの出身小学校は、地元島根県松江市内の公立校の雑賀(さいか)小学校です。
この小学校の150周年の際に、メディアに母校として紹介されています。
子供の頃にはピアノやクラシックバレエを習っていました。
藤井怜央の学歴~出身中学校(松江市立第三中学校)の詳細
出身中学校:島根県 松江市立第三中学校 偏差値なし
藤井怜央さんの出身中学校は、地元松江市内の公立校の第三中学校です。
出身が松江市立第三中学校である理由
インターネット上には国立の島根大学教育学部附属中学校(偏差値55)との憶測もありますが、藤井さんに中学受験の形跡がありません。
また私立の開星中学校(偏差値48)との憶測もありますが、藤井さんは小学校・高校ともに公立校の出身者で、中学校だけ私立に通学していたとは考えづらいでしょう。
そのため現時点では雑賀小学校の進学先のこの中学校が最有力となります。
この中学校では、後にスリーピースバンド「omoinotake」のメンバーとして共に活動をする福島智朗(エモアキ)さんと同級生でした。
ちなみにこのバンドの仲間として活動をする冨田洋之進さんは2人とは同郷ですが、別の中学校に通っていました。
藤井さんは福島さんの影響で、ロックバンド「銀杏BOYZ」のサウンドにのめり込んでおり、このことについてインタビューで次のように話しています。
「エモアキと中学校が一緒だったので、いろいろな音楽を教えてもらいました。当時は銀杏BOYZとかを教えてもらってからロックにのめり込んで、そこからはいろいろ聴いています。」
引用元:radiko news
また藤井さんは中学生の頃にロックバンド「X JAPAN」にもハマっており、高い声を出して「X JAPAN」の曲を歌っていたため、変声期になっても声がさほど低くならなかったとのことです。
加えて当時の藤井さんはカナダの歌手であるセリーヌ・ディオンさんの楽曲など、かなり高い声を必要とする楽曲を歌っていました。
そして中学生の頃に福島さんとはじめてバンドを組んでドラムを担当しています。
当時は福島さんがベースとボーカルを務めており、スリーピース・ロックバンド「凛として時雨」などのコピーバンドをしていました。
【主な卒業生】
福島敦子(フリーアナウンサー)
山本恭司(ミュージシャン)
スポンサードリンク
藤井怜央の学歴~出身高校(島根県立松江北高校)の詳細
出身高校:島根県 松江北高校 偏差値58~69(学科不明のため)
藤井怜央さんの出身高校は、県立の共学校の松江北高校です。
この高校は1876年開校の伝統校で、地元では古くからの進学校として知られています。
また同校は以下の2つの学科を設置していますが、藤井さんはどちらの学科に在籍したかは不明です。
理数:偏差値69
普通:偏差値58
ただし藤井さんは大学では文系の学部に在籍しているので、普通科が有力です。
いずれにしてもこの高校には一般受験で入学しているので、勉強も得意でした。
なお藤井さんは出身高校を明らかにしていませんが、インターネット上に複数の在籍情報が見られるので、この高校の出身者で間違いないでしょう。
高校時代のエピソード
高校時代は帰宅部で、部活動などはおこなっていません。
藤井さんは高校生の頃には、ロックバンド「Mr.Children」の楽曲をかなり聴いていたことを明かしています。
高校時代も福島さんや冨田さんと一緒にバンドをしたり、別のバンドを組んだりしている状態が続いており、この頃もドラムを担当していました。
【主な卒業生】
竹下登(元内閣総理大臣)
園山俊二(漫画家)
スポンサードリンク
藤井怜央の学歴~出身大学(中央大学)の詳細
出身大学:中央大学 総合政策学部 偏差値60(やや難関)
藤井怜央さんは高校卒業後は、中央大学に進学しています。
大学では総合政策学部に在籍していました。
なおこの大学には現役での合格ではなく、1年間の浪人生活を経て進学しています。
大学時代にomoinotakeを結成
藤井さんの浪人時代には、福島さんと冨田さんは東京の学校に進学をしており、藤井さんだけ浪人している状態でした。
先に上京をした福島さんと冨田さんはバンドを組むことになり、バンドメンバーを探していましたがなかなかちょうど良い人がいませんでした。
そんな時に藤井さんがコーラスが上手く、ピアノも弾けることを思い出し、浪人中の藤井さんをバンドに誘っています。
藤井さんは2011年10月くらいにバンド活動に誘われており、センター試験まで残り2,3ヶ月しかないという状況だったことを明かしています。
当時のことについて藤井さんはインタビューで次のように振り返っていました。
「ピアノロックを全然聴いたことがなかったので、すぐにいろいろ検索しました。ベン・フォールズ・ファイヴとかを知って、TSUTAYAに借りに行って、「なるほど、こういう感じか。楽しそうだな」と思ったり。そこからは受験勉強に専念しましたけど。」
引用元:FanplusMusic
そして藤井さんが大学に進学した2012年に、3人で「omoinotake」を結成して本格的にバンド活動を開始しています。
なお「omoinotake」の楽曲は、ソウルや80年代のAORのようなテイストだそうですが、このような音楽にたどり着くまではかなり勉強したようです。
このことについてはインタビューで次のように話しています。
「3人でバンドを始めて3年くらいまでは、いわゆるタテノリの曲をずっとやっていたんです。でも、ギターもいないし、そういう音楽をやっていても埋もれちゃうので『この編成でやれるのは、ヨコノリかな?』と。そこからいろいろ吸収しつつ、今みたいな方向性になっていきました。」
引用元:FanplusMusic
このバンドのギターがいない構成では、タテノリの曲では限界があり、ゆっくりと藤井さんの声を聴いてもらうような方向性の楽曲になっていきました。
またギターを弾ける人をメンバーに迎えるという話もありましたが、藤井さんは「同郷で同い年」という結束感を守りたかったとのことです。
バンドはアマチュア時代から路上ライブが好評で、500人以上集客をしたこともありました。
なお藤井さんは大学時代は音楽活動で大忙しでしたが、学業とも両立させて大学は卒業しています。
在籍する「omoinotake」は2023年にメジャーデビューを飾っています。
すると翌年にはセカンドシングル「幾億光年」がヒットして、人気アーティストの仲間入りを果たしています。
藤井さんはほとんどの楽曲を作曲するなど、バンドをけん引しています。
今後のさらなる飛躍にも期待が高まります。
スポンサードリンク
ここまでお読みいただきありがとうございました。ご質問やご意見などがございましたら、お手数をおかけしますがページ上の「お問い合わせ」よりお願いいたします。