早乙女太一の学歴と経歴|出身高校中学校や大学の偏差値と学生時代のかっこいい画像

俳優の早乙女太一さんの出身校の偏差値などの学歴情報をお送りします。中学時代に「流し目王子」としてブレイクした早乙女さんですが、どのような学生生活を送っていたのでしょうか? 学生時代のエピソードや情報、当時のかっこいい画像なども併せてご紹介いたします

 

早乙女太一(さおとめ たいち)

 

 

1991924日生

身長174

血液型はB型

 

福岡県北九州市出身の俳優

本名は西村太一

 

以下では早乙女太一さんの出身校の偏差値や学生時代のエピソードなどをご紹介いたします

 

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目次

早乙女太一の学歴~出身高校の詳細

 

出身高校:進学せず

 

早乙女太一さんは中学校卒業後は、高校に進学しませんでした。

 

後述するように仕事があったことから中学校も満足に登校できず、卒業後は芸能活動に専念しています。

 

16歳の時に新歌舞伎座の座長を務めており、これは史上最年少記録でした。

 

 

早乙女さんは17歳の時に劇団☆新感線の舞台「蛮幽鬼」に出演をしています。

 

早乙女さんははじめて見た舞台が劇団☆新感線の「髑髏城の七人」という作品で、鳥肌が立つほど衝撃を受けて感動しています。

 

こんなかっこ良い世界があることを知って以降は様々な作品を観ていたため、まさか劇団☆新感線の舞台に出演できるとは思っていなかったようです。

 

後述するように早乙女さんは、これまで青春というものを味わっておらず学校行事も運動会に1度参加しただけでした。

 

早乙女さんはインタビューで次のように話していました。

 

「学生生活は全く分からないし、バイトもしたことない。映像はその人の生き方や生活感が顔とか雰囲気に出るので怖い。」

記事引用:産経ニュース

 

とは言え以降も舞台のみならず、テレビドラマや映画に幅広く起用されています。

 

 

22歳だった2013年に、6歳年上のファッションモデル・西山茉希さんと結婚した際には大きな話題になりました。

 

 

西山さんとは「デキ婚」でしたが、2019年に離婚しています。

 

2015年に両親から継いだ大衆劇団が解散したので、その後は劇団EXILEや劇団☆新感線の舞台にも出演するなど、活動の幅を広げています。

 

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早乙女太一の学歴~出身中学校(さいたま市立春野中学校)の詳細

 

出身中学校:埼玉県 さいたま市立春野中学校 偏差値なし

 

 

 

早乙女太一さんが在籍をした中学校は、公立のさいたま市立春野中学校です。

 

この中学校を卒業したというわけではなく、1か月間在籍しただけです。

 

両親とともに旅回りの大衆演劇の一員として活動していたので、小学校、中学校時代はほとんど毎月のように転校をしており、当時のことについてはインタビューで次のように話しています。

 

「2~3時間目まで行って、帰ってきたら昼公演と夜公演。夜は次の日のための稽古をして、翌朝、学校に行って。そういう毎日でした。」

記事引用:就職ジャーナル

 

だいたい1年で12校回っていたことから、友人はできませんでした。

 

また転校生ということで上級生から絡まれたこともあり、このことについては次のように話しています。

 

「“ケンシロウくん、やめなさい”っていう声が聞こえて来て。ガラって(扉が)開いたら、中3ぐらいの大きい男の子が。たぶんその中学校を俺が仕切ってるんだぞ、みたいな。そのケンシロウが短い掃除のほうきを回しながら入って来て、“俺は転校生殺しが大好きなんじゃ”って言われて」

記事引用:スポニチ

 

「調子に乗るなよ」や「放課後、来いよ」と言われていましたが、2、3時間目で帰って舞台に立っていました。

 

学校行事にもほとんど参加することができず、運動会はわずか一度のみ参加しています。

 

 

また同級生の女子たちに「かっこいい」と言われると思い、自信を持ってメイクをした姿を披露したところ「太一くん、何しようと?」と微妙な反応でした。

 

早乙女さんはこの時にはじめて自分がやってきたことは若い人たちからすると、かっこいいことではないということに気づいてかなりショックを受けました。

 

また早乙女さんは小学校6年生の時に映画「座頭市」に出演以降は徐々にテレビに出演をする機会が増えていきました。

 

そして踊りの習い事も増えるなどどんどん環境も変わって対応しきれなくなり、13歳の時に家出をしようとしましたが走馬灯のように今までお世話になった人の顔が浮かび裏切りたくないという思いから自身の感情をしまい込むようになりました。

 

14、15歳の頃からは劇団外での大きな仕事も増えていきましたが、これまでの女形にもずっと抵抗があったため頑張り切れない時期もあり苦しい思いをしました。

 

 

また早乙女さんは当時のことについてインタビューで次のように話しています。

 

「14歳から16歳のころは、いちばん目まぐるしい時期でした。環境の変化についていけないくらい忙しくて、ほとんど記憶がないんです。すみません」

記事引用:女性自身

 

17歳の時にテレビ番組への出演をきっかけにブレイクして、「流し目王子」との異名もとりました。

 

 

以降は舞台のほかに、テレビドラマや映画への出演が多くなり、人気俳優の仲間入りも果たしています。

 

【主な卒業生】

渡辺麻友(元AKB48)

 

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早乙女太一の学歴~出身小学校の詳細

 

出身小学校:不明

 

早乙女太一さんの出身小学校は不明です。

 

小学校時代も目まぐるしく転校していたので、かなりの数の小学校に在籍しています。

 

そのため早乙女さんはインタビューで、「母校にといえる学校がない」と述べています。

 

家族構成は両親と弟、妹の5人家族です。

 

弟は俳優の早乙女友貴さんです。

 

父親は大衆演劇「劇団朱雀」の座長の葵陽之介さんです。

 

早乙女さんは「葵劇団」の劇団員の両親のもとに生まれたこともあり、4歳で初舞台を踏みました。

 

そして幼少期から劇団員として全国各地を回っており、自身の子供時代についてはインタビューで次のように話しています。

 

「劇場は少なかったです。劇場は大衆演劇でもお客さんを呼べる人たちだから、僕たちは基本、健康ランドが多かったです。健康ランドの大広間の、お客さんがご飯食べながらたまにお客さんがカラオケ歌うような、小さいステージで1カ月間公演っていうのが僕らは多かったです」

記事引用:スポニチ

 

また子供の頃には自身の想像で見えない敵を作り、一人でプロレスや刀を持って遊んでいました。

 

早乙女さんは2003年に舞台「座頭市」に出演した際には、「100人に1人の天才女形」として話題を集めています。

 

 

以上が早乙女太一さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。

 

幼少期から舞台に立っていたので俳優としての演技力は折り紙付きです。

 

 

今後のさらなる活躍にも期待が高まります。

 

 

経歴/プロフィールの詳細

 

両親が大衆演劇に所属していたので、4歳だった1995年に初舞台を踏む。 

その後両親が劇団朱雀を立ち上げたので、同劇団のほとんどすべての舞台に出演。 

2003年の「座頭市」で映画初出演。 

2007年のドキュメンタリー番組「Dの劇場」への出演を機にブレイク。 

以降も「あんみつ姫」や「信長協奏曲」、「HIGHLOW」などの連続ドラマに出演している。 

「少年H」や「クローズEXPLORD」、「たたら侍」などの映画にも出演。 

私生活では2013年に女優の西山茉希と結婚し、2人の娘がいる。

 

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