イチローの学歴|出身高校中学校や小学校の偏差値と若い頃の画像

 

不世出の大打者イチロー選手の出身中学校や高校の偏差値などの学歴情報をお送りします。大リーグでも数々の輝かしい記録を打ち立てたイチローさんはどのような学生時代を送ったのでしょうか? 学生時代のエピソードや当時の画像なども併せてご紹介いたします

 

イチロー

 

 

19731022日生

身長180㎝ 体重79kg

血液型はB型

 

愛知県出身のプロ野球選手

本名は鈴木一朗




 

目次

経歴/プロフィールの詳細

 
1991年ドラフト4位でオリックス・ブルーウェーブに入団。 

1994年に日本プロ野球記録(当時)の210安打を記録して大ブレイク。

以降も7年連続で首位打者になるなど、プロ野球を代表する打者となる。

2000年に日本人初のポスティングシステムでシアトル・マリナーズに移籍。

いきなり新人賞・MVP・首位打者・盗塁王などを獲得。 

以降も10年連続で200本安打を記録して、2004年にはMLB最多記録の262本の安打を記録。 

2012年途中にニューヨーク・ヤンキースに移籍して、2015年にはマイアミ・マーリンズに移籍。

2019年3月にシアトル・マリナーズで引退。 

俳優としてドラマ「古畑任三郎」や映画「走れ!イチロー」に出演経験がある。 

私生活では1999年にTBSアナウンサーだった福島弓子と結婚。

 

学歴~出身高校

 

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出身高校:愛工大名電高校 スポーツコース 偏差値46

※現在は愛知工業大学附属名電高校

 

 

 

イチローさんは中学卒業後は、私立の共学校の愛工大名電高校に進学しています。

 

この高校はスポーツが盛んで、特に卓球部やバスケットボール部、硬式野球部が強豪として知られています。

 

イチローさんは特待生として入学しましたが、スポーツ推薦ではなく、成績特待生としての入学です。

 

後述するように中学時代の学校の成績は非常にいいものでした。

 

高校時代は全寮制のスポーツに特化したクラスに所属しています。

 

意外なことにイチローさんは高校1年生の時に、父親に「野球を辞めたい」と言っています。

 

 

寮生活を送るにあたり、下級生は上級生の服などを洗濯など身の回りの世話をするのですが、それを自由時間に争うように行っていたことに対して嫌気がさしたようです。

 

イチローさんは非常に合理的な考え方の持ち主ですが、このような野球以外のことで他人と争うのは無駄なことと考えたようです。

 

後にも先にもイチローさんが野球を辞めたいと言ったのは高校時代の一度きりですし、練習がきつくてこのようなことを言い出したわけでもありません。

 

当時の寮生活は合わなかったようで、インタビューでも「あれ以上苦しいことは、今までのところないですね」と語るほどです。

 

ただし高校時代の野球の成績は際立っており、次のようになっています。

 

 

イチローさんは三塁手とし野球部に入部していますが、後に投手にコンバートされ、エースとして活躍しています。

 

また高校時代には当時の監督だった中村豪さんに「センター前へのヒットならいつでも打てますよ」と言い放った伝説的なエピソードも残っています。

 

ちなみに中村監督は西武で活躍した工藤公康さんや元中日の山崎武司さんらも育てており、名将と言われた監督です。

 

 

中村監督は高校時代のイチローさんについて、次のようにインタビューで話しています。

 

「とにかく意気込みが他の選手とは全然違った。「プロ野球選手にしてください!」と名電高校の門を叩いてきたのは、イチローが最初で最後。「任せろ」と言ったはいいものの、ヒョロヒョロとした体の彼がどれだけの可能性を秘めているのか、正直わからなかった。しかし、実際にプレーする姿を見た瞬間、『この子はプロに行けるかもしれない』と思ったね」

 

ちなみに中村監督が「ヒョロヒョロした体」と表現しているように、高校入学時のイチローさんの体格は171㎝、63kgとチーム内でもかなり見劣りするほどの体格でした。

 

1学年先輩の日比野公彦捕手も次のように当時のイチローさんについて話しています。

 

「当時はうちで野球するのは無理だと思うほど痩せていましたが、いきなり鋭い打球をセンター前へ運んだんです。そのあとも2本ヒットを打ったはずです。これは凄い奴が入ってきたぞって思いましたね」

 

ちなみに中村監督は日比野さんに「上級生につぶされないように、ガード役として守ってやれ」との指示を出しています。

 

同校の硬式野球部は激戦区の愛知県でも強豪として知られていますが、1年生の時からレギュラーを獲得し、2年生の夏と3年生の春に甲子園に出場。

 

 

3年生の時にはエースとして出場しましたが、いずれも初戦で敗退しています。

 

 

滅多に涙を流さないイチローさんですが、高校2年生の甲子園で負けた際には、宿舎で涙を流して雪辱を誓っています。

 

甲子園での成績は9打数1安打打率.111とまったく本来の力を発揮できませんでした。

 

また高校3年生の夏の甲子園の愛知県予選では決勝までの8試合で打率.643、7試合連続マルチ安打、7試合連続打点、3試合連続本塁打と大暴れしていましたが、決勝では東邦高校に敗れてしまい、最後の夏は甲子園に出場していません。

 

また高校3年生の時には交通事故が原因のケガでフォームが崩れたことから、投手から野手に転向しています。

 

ちなみにイチローさんは高校2年生の時に練習試合で、後にヤンキースなどで活躍する松井秀喜さんとはじめて出会っています。

 

 

その際には2人は言葉を交わしており、イチローさんが「ホームラン何本くらい打ってるの?」との質問に対し、松井さんは「10何本くらいですかね~」と答えたそうです。

 

加えてイチローさんは高校時代には既に「肩は消耗品」と考えており、過度の練習は避けてマイペースで練習をおこなっていました。

 

「ブルペンで捕手を座らせて投球なんて、ほとんどしたことがない。肩は消耗品、という考えがありましたから、練習でも100球まで。酷使してダメになっていく人が、その頃から何人もいましたからね」

 

現在のメジャーリーグでは投手は100球を目途に降板しますが、高校時代から投げ込みを100球までと設定していたのは驚きですね。

 

またインタビューでは高校時代は「サボることばかり考えていた」と話しています。

 

「3年生になると、いくらだってサボれましたから。投手で別メニューなんで、サボることばっかり考えてました」

 

その一方でバッティングに関しては高校時代は夜に密かにグラウンドの走り幅跳び用の砂場で素振りをしていました。

 

砂場での素振りは上半身でしっかり振り切らないと足を取られてしまいますし、足腰も鍛えられるから一石二鳥とのことで、このあたりにもイチローさんの合理主義的な思考や野球に対する真摯な姿勢も垣間見ることができます。

 

ちなみに高校時代は一番最初にお風呂に入っていました。

 

「僕はお風呂は1番に入らないと嫌。誰よりも早く練習を終わってお風呂に入ってました」

 

高校3年生の秋にドラフトで指名されてプロ野球に進んでいますが、その後の活躍は周知の通りです。

 

なおイチローさんは学業のほうでも高校時代は傑出した成績を残しており、数学と音楽が4で残りの科目は常に5だったとのこと。

 

これらについてはイチローさんも次のようにインタビューで答えています。

 

「そりゃ、僕だって勉強や野球の練習は嫌いですよ。だれだってそうじゃないですか。つらいし、大抵はつまらないことの繰り返し。でも、僕は子どもの頃から、目標を持って努力するのが好きなんです。だってその努力が結果としてでるのはうれしいじゃないですか」

 

さらにイチローさんの優秀さについては当時のこの高校の校長先生も、「東大合格も夢ではない」と語ったほどです。

 

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学歴~出身中学校の詳細

 

出身中学校:愛知県 豊山町立豊山中学校 偏差値なし

 

 

 

イチロー選手の出身中学校は、地元豊山町の公立校・豊山中学校です。

 

そこでも野球部(軟式)に所属して、エースで3番打者として活躍しています。

 

チームは中学3年生の時には全国大会に進出して、3位の成績を残しています。

 

 

そしてイチローさんは中学3年生の時に後にヤクルトスワローズや北海道日本ハムファイターズなどで活躍する稲葉篤紀さんに出会っています。

 

当時の稲葉さんは中京高校(現在の中京大中京高校)の1年生でしたが、バッティングセンターでの稲葉さんの打撃を見て「プロに行ける」と思ったことをインタビューで述べています。

 

「僕が中学3年生のとき、稲葉さんが中京高校(現・中京大中京高校)のTシャツを着て、バッティングセンターにいらっしゃった。『将来この人は、確実にプロに入る人だ』と聞いていた。稲葉さんが打っているのをみて、『俺、プロいける』と思った。大変失礼な言い方ですけど。稲葉さんは大きな指針になってくれた」

 

イチローさんは中学時代にはバッティングセンターで120㎞の球を打って打撃練習をしていましたが、それでも満足できなかったことから、バッティングマシンを改良してもらって130㎞の球で練習をしています。

 

しかも130㎞の球速でも満足できなくなって、中学校の3年生からは140㎞に改良してもらっています。

 

さらに中学校の終わりごろになるとバッターボックスの前に立って打撃練習をしています。

 

加えて小学校時代からボール球を見極めることを意識していたことから、バッティングセンターでもボール球には手を出さずに見送っています。

 

なかなかバッティングセンターでボールを見送るのはもったないようにも思われますが、イチローさんの選球眼はそのような訓練の末に磨かれています。

 

中学校の頃は勉強でも学年でトップクラスの成績を残していましたが、プロ野球を目指すために野球に専念できる高校に進学することを決意しています。

 

そして中学3年生の時に父親の宣之さんとともに愛工大名電の中村監督の下を訪ねています。

 

その際に宣之さんは「甲子園が目標ではありません。プロになれる選手を育ててほしい」と中村監督に願い出ています。

 

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学歴~出身小学校

 

出身小学校:愛知県 豊山町立豊山小学校

 

 

 

イチローさんの出身小学校は、地元豊山町内の公立校の豊山小学校です。

 

家族構成は両親と兄の4人家族です。

 

父親の宣之さんは電気部品の町工場を経営していました。

 

宣之さんは子供の頃のイチローさんについては、次のように語っています。

 

「3歳の時にはじめておもちゃのバットとボールを持たせたら、その日から寝るときも離さなくなったほど、野球が好きな子どもでした」

 

イチローさんは子供の頃は習字を習っており、塾にも通っていました。

 

小学生の頃はかなりわんぱくで知られるとともに、非常に運動神経がよく、小学校2年生の時には既に将来の夢をプロ野球選手に定めています。

 

 

そして小学校3年生の時に地元の少年野球チーム「豊山町スポーツ少年団」に所属しています。

 

入団当初は練習が日曜日しかなかったことから、平日は学校が終わった後に父親とキャッチボールなどをして練習をしていました。

 

スポーツ少年団ではエースで4番として活躍して、6年生の頃には全国大会に出場しています。

 

ちなみに豊山スポーツ少年団は現在も活動していますが、全国大会に出場したのはこの時が最初で最後でした。

 

それだけ当時のイチローさんの力が傑出していた証拠でしょう。

 

ちなみにイチローさんは小学校時代は金属バットではなく、なんと木のバットを使用していました。

 

 

また小学校時代から名古屋空港の近くの「空港バッティングセンター」に通って、打撃練習をしていました。

 

このバッティングセンターには前出の稲葉さんも通っていたことから、2人は小学校時代からの顔見知りです。

 

稲葉さんは当時のイチローさんについて次のように述べています。

 

「イチ君は小学校のとき、木のバットで打ってた。それがすごく印象的で、120キロ(のスピードのボールを)を本当に見事に打ってたの。すごいなあぁと思って見てた」

 

また学校の成績もよく、特に漢字が得意だったので「漢字博士」と呼ばれていました。

 

そしてイチローさんは小学校の卒業文集にプロ野球選手になることが夢と書いています。

 

 

“『ぼくの夢』
愛知県西春日井郡 とよなり小学校
6年2組   鈴木一朗
ぼくの夢は一流のプロ野球選手になることです。
そのためには、中学高校と全国大会に出て活躍しなければなりません。
活躍できるためには練習が必要です。
ぼくは、3歳のときから練習を始めています。3歳から7歳までは半年くらいやっていましたが3年生の時から今では、365日中360日は激しい練習をやってます。
だから1週間中で友達と遊べる時間は、5~6時間です。
そんなに練習をやっているのだから、必ずプロ野球選手になれると思います。
そして中学、高校と活躍して、高校を卒業してからプロに入団するつもりです。そしてその球団は、中日ドラゴンズか西武ライオンズです。
ドラフト入団で契約金は1億円以上が目標です。
ぼくが自信があるのは投手か打撃です。
去年の夏、ぼくたちは全国大会に行きました。
そして、ほとんどの投手を見てきましたが、自分が大会NO1選手と確信でき、打撃では県大会4試合のうちホームラン3本を打ちました。
そして、全体を通した打率は5割8分3厘でした。
このように自分でも納得のいく成績でした。
そしてぼくたちは、1年間負け知らずで野球が出来ました。
だからこの調子でこれからも頑張ります。そしてぼくが一流の選手になったら、お世話になった人に招待状を配って応援してもらうのも「夢」のひとつです。
とにかく1番大きな夢は、プロ野球選手になることです。”

 

小学生ながら既に自信に満ち溢れた文章はさすがですね。

 

以上がイチローさんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。

 

日本人のプロ野球選手としては数々の金字塔を打ち立てて、MLBでさえも不世出のプレーヤーのひとりとされるほどです。

 

(1994年:プロ野球史上初の200本安打)

 

(2004年:MLB新記録の262安打達成時)

 

(2010年:10年連続ゴールドグラブ獲得・球宴出場)

 

(2016年:日米通算4256安打)

 

今後は彼のような選手は現れないかもしれませんが、まさに日本の野球界全体を底上げした偉大なプレーヤーです。

 

そして2019年3月の東京ドームの一戦でイチローさんは現役引退しています。

 

 

いつかこの日が来ることは誰もがわかっていましたが、日本球界そしてMLBでも大きな宝を失ったことは多くの人が嘆きました。

 

お疲れさまでした。

 

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