村田諒太の学歴と経歴|出身中学校高校や大学の偏差値と高校時代

 

村田諒太(むらた りょうた)

 

01

 

1986112日生

身長182.8

 

奈良県出身のプロボクサー

 

以下では村田諒太さんの学歴や経歴、中学校や高校、大学の偏差値、中学時代・高校時代・大学時代のエピソードなどをご紹介していきます。

 

経歴/プロフィールの詳細

 

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3人兄弟の末っ子。

 

中学3年生の時からボクシングジムに通い、高校生の時に頭角を現す。

 

2008年に北京オリンピックの代表を逃していったん引退する。

 

20092月に復帰して、2011年まで全日本選手権を3連覇。

 

第2シードで出場した2012年のロンドンオリンピックで、日本人選手としては48年ぶりの金メダルを獲得。

 

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2013年にプロに転向し、2014年にWBC世界ミドル級8位となる。

 

20173月にWBAWBOともに世界ミドル級2位となる。

 

2017年10月にWBAミドル級王座を獲得。

 

 

2018年10月にロブ・ブラントに判定負けして、2度目の防衛に失敗し王座陥落した。

 

 

私生活では2010年に4歳年上の女性と結婚し、長男と長女がいる。

 

 

学歴~出身小学校・中学校

 

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出身小学校:奈良市立伏見小学校

 

 

村田諒太さんの出身小学校は、地元の奈良市内の公立校の伏見小学校です。

 

父親が公務員、母親が教師の家庭に育っています。

 

5歳の頃から親の意思によって、水泳をはじめています。

 

家庭は貧しくはなかったものの、両親がいさかいを繰り返した末に小学校6年生の時に離婚。

 

村田さんも「崩壊した家庭環境が、辛くて嫌で仕方なかった」と当時の胸中を露にしています。

 

出身中学校:奈良市立伏見中学校

 

 

村田諒太さんは小学校卒業後は、地元の公立校の伏見中学校に進学しています。

 

中学時代は陸上部に所属して1500mの奈良大会で4位の成績を残していますが、部活動は長続きしませんでした。

 

村田さんは両親の離婚が原因で中学時代は荒れており、頭髪を金髪に染めたり喧嘩をするなどまさにヤンキーでした。

 

また授業にもほとんど出席しておらず、中学時代の成績は1と2だけでした。

 

ところが中学1年生の時に担任だった北出先生が村田さんの「ボクシングだった、やるわ」の言葉に従って、奈良工業高校のボクシング部が主宰する週末ボクシング教室への出席を手配。

 

足首を故障して途中で辞めてしまいますが、このボクシング教室への出席が村田さんのボクシング人生のはじまりとなりました。

 

中学3年生の時に大阪の進光ボクシングジムの門を叩いて、本格的にボクシングをはじめています。

 

(中学時代の写真)

 

学歴~出身高校の詳細

 

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出身高校:南京都高校 偏差値36(かなり容易)

※現在は京都廣学館高校

 

 

村田諒太さんの出身校は、私立の共学校の南京都高校です。

 

同校のボクシング部は全国的な強豪で、「神の左」で知られる山中慎介さんも同校のボクシング部のOBです。

 

村田さんは高校進学後はボクシング部に入部すると、ここで人生の恩師とも言われる武元前川先生(故人)と出会って以降の人生が大きく変わっていきます。

 

(武元氏)

 

武元先生はボクシングの技術ばかりではなく、人間としての在り方なども村田さんに教え込み、以降はボクシングにも真面目に取り組んで、徐々にその才能を開花させていきます。

 

高校2年生の時に選抜、総体、国体を制して高校3冠を達成。

 

3年生の時にも選抜と総体で優勝して5冠まで伸ばしています。

 

なお村田さんは後にWBAのミドル級の王座を獲得した際に「勝つということは相手を踏みにじり、その上に自分が立つということ。勝つ人間には責任が伴う」と勝者の責任を口にしていますが、この言葉も高校時代の武元先生の教えでした。

 

 

(高校時代)

 

学歴~出身大学の詳細

 



 

出身大学:東洋大学 経営学部経営学科 偏差値48(やや容易)

 

村田諒太さんは高校卒業後は、東洋大学に進学します。

 

一般入学ではなく、ボクシングでのスポーツ推薦です。

 

同大在学中もボクシング部に在籍しましたが、日本選手権などでは優勝は飾るものの、国際大会では良績は残せませんでした。

 

 

そのため卒業と同時に選手を引退して、母校の東洋大学にボクシング部のコーチ兼職員として就職。

 

ところがその翌年に起こったボクシングの不祥事をきっかけに再び現役に復帰すると、見違えるほど強くなってオリンピックでの金メダル獲得の快挙も成し遂げました。

 

プロ入り後も順調にキャリアを重ねて、世界を狙える位置までランキングを上げてきました。

 

そして31歳の時にもっとも選手層が厚く、レベルの高い階級のひとつであるミドル級での王座獲得。

 

プロ初黒星の際の疑惑の判定などに負けずに、竹原慎二さん以来日本人2人目となる歴史的な勝利を挙げました。

 

今後の活躍にも注目です。

 

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