村田諒太の学歴と経歴|出身大学高校や中学校の偏差値と若い頃のヤンキー画像

 

プロボクサーの村田諒太さんの出身高校や大学の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。実は村田さんは中学時代はヤンキーで、ボクシングを通じて更生しました。学生時代のエピソードや情報、当時のかっこいい画像なども併せてご紹介いたします

 

村田諒太(むらた りょうた)

 

01

 

1986112日生

身長182.8

血液型はAB型

 

奈良県奈良市出身のプロボクサー

 

以下では村田諒太さんの学歴や経歴、中学校や高校、大学の偏差値、中学時代・高校時代・大学時代のエピソードなどをご紹介していきます。




 

目次

村田諒太の学歴・経歴・プロフィールの略歴

 

1986年(0歳):奈良県奈良市に生まれる

1993年(7歳):奈良市立伏見小学校に入学

1998年(12歳):両親が離婚

1999年(13歳):奈良市立伏見小学校を卒業

1999年(13歳):奈良市立伏見中学校に入学

1999年(13歳):ボクシングをはじめるが、足の故障でいったん中断

2001年(15歳):進光ジムに通って本格的にボクシングをはじめる

2002年(16歳):奈良市立伏見中学校を卒業

2002年(16歳):南京都高校に入学

ボクシング部に入部

2004年(18歳):高校5冠達成

2005年(19歳):南京都高校を卒業

2005年(19歳):東洋大学経営学部経営学科に入学

        日本選手権などで優勝

2009年(23歳):東洋大学経営学部経営学科を卒業

2009年(23歳):東洋大学にボクシングコーチ兼職員として就職

2010年(24歳):一般人女性と結婚(一男、一女をもうける)

2012年(26歳):ロンドンオリンピックで金メダルを獲得

2013年(27歳):プロ転向

2017年(31歳):WBA世界ミドル級王者獲得

2018年(31歳):ロブ・ブラントに判定負けし、2度目の防衛に失敗

2019年(32歳):ブラントをTKOで破って、王座に復帰

2021年(34歳):WBA世界ミドル級のスーパー王座に昇格

 

村田諒太の学歴~出身大学の詳細

 

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出身大学:東洋大学 経営学部経営学科 偏差値48(やや容易)

 

 

 

村田諒太さんは高校卒業後は、東洋大学に進学します。

 

一般入学ではなく、ボクシングでのスポーツ推薦です。

 

同大在学中もボクシング部に在籍しましたが、日本選手権などでは優勝し国内では無類の強さを誇っています。

 

「大学1年生の国民体育大会(以下、国体)で負けてからはずっと負けていないから、出た試合は全部優勝していると思う。1年生の時優勝、2年生の時は世界選手権で出られなくて、3年生の時はアジア大会で出ていないし、それで4年生で優勝」

 

しかし意外なことに大学時代は国際試合ではさほどの良績は残せていません。

 

 

また大学時代を振り返って、もう少し周囲に優しくしておけばよかったとインタビューで話しています。

 

「後悔していることは無いですね。でも後悔というか、もう少し周りに優しくできれば良かったかなぁ。厳しかったから。特に同級生に関しては上から目線で「俺はもう日本一なんだ」っていう目で見ちゃっていたから、もっと仲間を大事にしていれば良かったなと思います」

 

とは言え大学時代の仲間とは卒業後も関係は良好のようです。

 

「でも本当に大学時代はいい経験ができますし、大学4年間を過ごした仲間は大人になってからもすぐ集まっちゃうね。地方でも飛んできてくれる。そういう仲間をつくることは4年間で大事だね。ボクシングが強ければ良いわけじゃないし、仲間との良い経験をつくってほしい。学生のときは、こんなこと言われても「何を言ってんの?」と思っていたけど、今ならわかるかな(笑)」

 

そして大学4年生の3月に出場した北京オリンピックのアジア予選で1回戦負けを喫したことから、卒業と同時に選手を引退して、母校の東洋大学にボクシング部のコーチ兼職員として就職しています。

 

ところがその翌年に起こったボクシングの不祥事をきっかけに再び現役に復帰しています。

 

 

その後は見違えるほど強くなって2012年のロンドンオリンピックでの金メダル獲得の快挙も成し遂げました。

 

 

そしてその年の秋にプロに転向しています。

 

2017年には竹原慎二さん以来、日本人2人目となる世界ミドル級のタイトルを獲得する快挙を成し遂げています。

 

 

いったんはロブ・ブラントに判定負けして王座を陥落しますが、リベンジして王座に復帰しています。

 

村田さんは2020年にYOUTUBEに公式チャンネルを開設しています。

 

こちらでは様々な有名人との対談が好評を博しています。

 

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村田諒太の学歴~出身高校の詳細

 

出身高校:京都府 南京都高校 偏差値36(かなり容易)

※現在は京都廣学館高校

 

 

 

村田諒太さんの出身校は、私立の共学校の南京都高校です。

 

同校のボクシング部は全国的な強豪で、「神の左」で知られる山中慎介さんも同校のボクシング部のOBです。

 

村田さんは高校進学後はボクシング部に入部すると、ここで人生の恩師とも言われる武元前川先生(故人)と出会って以降の人生が大きく変わっていきます。

 

(武元氏)

 

武元先生はボクシングの技術ばかりではなく、人間としての在り方なども村田さんに教え込み、以降はボクシングにも真面目に取り組んで、徐々にその才能を開花させていきます。

 

高校2年生の時に選抜、総体、国体を制して高校3冠を達成。

 

なお高校2年生の時には半年ほど骨折しながらボクシングを続けていたエピソードもあります。

 

「高校2年生でインターハイのベスト8になったのですが、相手を倒した時に拳がへこんだと思ったんです。腫れあがっていて。でも試合をしなければいけなかったので、そのまま2試合やりました。武元先生に拳を見せて「どうですか」って聞いたら、「打撲だよ」って言われたのですが、それが半年以上ずっと痛くて、なかなか治らなかったですね。」

 

3年生の時にも選抜と総体で優勝して5冠まで伸ばしています。

 

なお村田さんは後にWBAのミドル級の王座を獲得した際に「勝つということは相手を踏みにじり、その上に自分が立つということ。勝つ人間には責任が伴う」と勝者の責任を口にしていますが、この言葉も高校時代の武元先生の教えでした。

 

(高校時代)

 

加えて村田さんは高校3年生の時にはじめて全日本選手権に出場していますが、高校生ながら決勝に進出しています(結果は準優勝)

 

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村田諒太の学歴~出身中学校の詳細・ヤンキーだった!

 

出身中学校:奈良県 奈良市立伏見中学校 偏差値なし

 

 

 

村田諒太さんは小学校卒業後は、地元の公立校の伏見中学校に進学しています。

 

中学時代は陸上部に所属して1500mの奈良大会で4位の成績を残していますが、部活動は長続きしませんでした。

 

村田さんは両親の離婚が原因で中学時代は荒れており、頭髪を金髪に染めたり喧嘩をするなどまさにヤンキーでした。

 

また授業にもほとんど出席しておらず、中学時代の成績は1と2だけでした。

 

(中学時代の写真)

 

ところが中学1年生の時に担任だった北出先生が村田さんの「ボクシングだった、やるわ」の言葉に従って、奈良工業高校のボクシング部が主宰する週末ボクシング教室への出席を手配。

 

足首を故障して途中で辞めてしまいますが、このボクシング教室への出席が村田さんのボクシング人生のはじまりとなりました。

 

 

中学3年生の時に大阪の進光ボクシングジムの門を叩いて、本格的にボクシングをはじめています。

 

なおこれまで何度も鼻を骨折している村田さんは中学3年生の時に日本スーパーライト級1位のプロボクサーとスパーリングをした際に、はじめて鼻を骨折しています。

 

「中3で14歳だったのに、日本のスーパーライト級、63㎏くらいのプロのランキング1位の人がいて、その人とスパーリングをさせられたんです。その時に鼻がすごく腫れて、血もすごかったのでおかしいと思ったんですけど、迎えに来てくれた父親に「今日、鼻が痛いねん」と言ったら、スーパーでアイスクリームを買ってきて、それで鼻を冷やして僕の治療は終わりました(笑)」

 

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村田諒太の学歴~出身小学校の詳細

 

出身小学校:奈良市立伏見小学校

 

 

 

村田諒太さんの出身小学校は、地元の奈良市内の公立校の伏見小学校です。

 

父親が公務員、母親が教師の家庭に育っています。

 

5歳の頃から親の意思によって、水泳をはじめています。

 

家庭は貧しくはなかったものの、両親がいさかいを繰り返した末に小学校6年生の時に離婚。

 

村田さんも「崩壊した家庭環境が、辛くて嫌で仕方なかった」と当時の胸中を露にしています。

 

以上が村田諒太さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。

 

プロ入り後も順調にキャリアを重ねて、世界を狙える位置までランキングを上げてきました。

 

そして31歳の時にもっとも選手層が厚く、レベルの高い階級のひとつであるミドル級での王座獲得。

 

 

プロ初黒星の際の疑惑の判定などに負けずに、竹原慎二さん以来日本人2人目となる歴史的な勝利を挙げました。

 

また2018年10月にはラスベガスでロブ・ブラントにまさかの敗戦を喫して王座から陥落。

 

 

ところが引退も覚悟して臨んだ2019年7月のリベンジマッチで勝利して、王座にも復帰しています。

 

 

このような攻防を日本人選手がミドル級でおこなっているというのは驚きですが、今後の活躍にも注目です。

 

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