田中美佐子の学歴と経歴|出身大学高校や中学校の偏差値と若い頃のかわいい画像

 

女優の田中美佐子さんの出身高校や大学の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。演技派女優として数々の作品に出演している田中さんですが、どのような学生生活を送っていたのでしょうか? 学生時代のエピソードや情報、若い頃のかわいい画像なども併せてご紹介いたします

 

田中美佐子(たなか みさこ)

 

08

 

19591111日生

身長163

血液型はO型

 

島根県西ノ島町出身の女優

本名同じ

 

以下では田中美佐子さんの出身高校や大学の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介いたします

 

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目次

田中美佐子の学歴まとめ

 

出身大学:東洋女子短期大学 英語英文科

出身高校:松徳女学院高校

出身中学校:西郷町立西郷中学校→松江市立第一中学校

出身小学校:不明

 

田中美佐子の学歴~出身大学(東洋女子短期大学)の詳細

 

出身大学:東洋女子短期大学 英語英文科 偏差値48(当時・やや容易

※現在は閉校

 

 

田中美佐子さんは高校卒業は、東洋女子短期大学に進学します。

 

同大は東洋大学とはまったく無関係の短大ですが、2007年に閉校しています。

 

この短大では英語英文科に在籍していました。

 

田中さんは子供の頃から漠然と将来は女優の道に進むと考えていました。

 

この短大に進学するために上京をしたものの、どうすれば女優になれるのか分からないまま過ごしていました。

 

そして短大2年生の時に雑誌の募集広告を見て、「劇団ひまわり」に応募をしています。

 

その後はTBSが主宰する俳優養成所「緑山私塾」に第1期生として入塾をしており、お芝居のレッスンを受けています。

 

1期生の中から1人ずつデビューが決まっており、田中さんも21歳の時に女優としてデビューをしておりあっという間だったと振り返っています。

 

しかし父親は田中さんの芸能界入りに反対をしていたようです。

 

短大ではダンス部に所属しており、劇団のレッスンなどもあってまったく学生時代は遊べなかったと語っています。

 

なお田中さんは学業もしっかりおこなっており短大は無事に卒業しています。

 

そして21歳だった1981年に、テレビドラマ「想い出づくり。」で女優デビューしています。

 

 

すると翌年に主演した映画「ダイヤモンドは傷つかない」で、日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞しています。

 

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この映画で注目されたことから、1983年には歌手デビューもしています。

 

 

ただし歌手としてはシングル1枚、アルバム1枚のみのリリースでした。

 

女優としてはその演技力で、多くの映画やドラマに出演。

 

全盛期だった1990年代には立て続けに連続ドラマの主演に起用されるなど、絶大な人気を誇りました。

 

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出産により一時活動を休止していましたが、その後は本格的に復帰して現在に至ります。

 

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田中美佐子の学歴~出身高校(松徳女学院高校)の詳細

 

出身高校:島根県 松徳女学院高校 偏差値43(容易)

※現在は松徳学院高校

 

 

 

田中美佐子さんの出身高校は、私立の女子校(当時)の松徳(しょうとく)女学院高校です。

 

この高校は1959年開校のカトリック系のミッションスクールで、2005年に男女共学化されています。

 

隠岐の島出身の田中さんですが、中学2年生の時に父親の転勤で松江市に移り住み、高校も市内の同校に進学しています。

 

高校時代はテニス部に在籍をして、部活動に打ち込んでいました。

 

当時は歌手の郷ひろみさんの大ファンで、毎日のように郷さんの夢を見ていました。

 

高校3年間で7回ほどコンサートにも足を運んでいます。

 

また郷さんのコンサートには母親の手作りのGO模様のワンピースを着て参加していました。

 

田中さんは当時から女優志望でしたが松江市では女優になることはないだろうと思い、ごく普通の高校生活を送っていたとのことです。

 

高校卒業後の進路を決める頃になると、親から短大進学への許可が出ています。

 

ただし兄2人が上京をしていることから、田中さんも東京の短大を選ぶように言われました。

 

このことが自身にとって大きな分岐点となり、「いよいよ、そのときがきてしまった。やはり将来は定められていたんだ」と導かれるようにして女優を志しています。

 

また田中さんは高校3年生の時にはじめて男子と交際をしており、その男子は友人の元恋人で年下だったようです。

 

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田中美佐子の学歴~出身中学校(西郷町立西郷中学校・松江市立第一中学校)の詳細

 

出身中学校:島根県 西郷町立西郷中学校 偏差値なし

※現在は隠岐の島町立西郷中学校

 

 

 

田中美佐子さんが入学したのは、地元西郷町内の公立校・西郷町立西郷中学校です。

 

中学時代には軟式テニス部に在籍をしていました。

 

中学3年生の時に親の仕事の影響で松江市に転居して、松江市立第一中学校(偏差値なし)に転校しています。

 

 

 

隠岐の島の西郷町から松江市に移った当初はその都会ぶりにカルチャーショックを受けたそうです。

 

田中美佐子の学歴~出身小学校の詳細

 

出身小学校:不明

 

田中美佐子さんの小学校は不明です。

 

小学校・中学校時代は隠岐の島の西ノ島町と西郷町に住んでおり、どちらの小学校を卒業したかわかりません。

 

家族構成は両親と兄2人、姉の6人家族です(4人きょうだいの末っ子)。

 

父親は地方公務員として勤めていました。

 

田中さんは海に囲まれた島で生まれており、子供の頃はよく釣りをして遊んでいました。

 

母親から夜ご飯にアジフライを食べたかったらみんなで釣っていらっしゃいと言われると、きょうだい4人で桟橋に行き夕方のアジの群れを狙ってバケツいっぱい釣っていたといいます。

 

また父親が休みの時には船を出してくれてみんなで釣りに行っていました。

 

そのため田中さんは小学生の頃には、将来は漁師と結婚したいと思っていたそうです。

 

田中さんは自身の幼少期についてヤンチャでお転婆だったとのことで、インタビューでは次のように振り返っています。

 

「屋根の上で追いかけっこしたり、川に飛び込んで遊んだり。屋根の上では、一歩間違えて空中でジャンプして落っこちたりもしていましたね(笑)」

 

また島での生活ではテレビとの接点もなかったことから、芸能界とは無縁の世界でした。

 

しかし田中さんは物心ついた頃から、表現者としての道を進むという予感があったと振り返っています。

 

そしてもし将来島から出ることがあれば、将来は芸能界に進むのだろうと思っていました。

 

以上が田中美佐子さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。

 

30代だった1990年代には、立て続けに連続ドラマの主演に起用されるほど売れに売れていました。

 

現在でもSPドラマなどで主演するほど根強い人気もあります。

 

 

末永い活躍を期待したいところです。

 

 

経歴・プロフィールの詳細

  

19歳で劇団ひまわりに入団し、1980年にドラマ「獅子の時代」で女優デビュー。 

同年の「男はつらいよ 寅次郎かもめ歌」で映画初出演。 

1982年の映画「ダイヤモンドは傷つかない」で映画初主演を果たし、日本アカデミー賞新人賞を受賞。

同年に歌手デビューもするが、ヌードが嫌で芸能活動を一時休止。 

芸能活動再開後は多くのドラマや映画に出演し、人気女優となる。 

「眠れない夜を数えて」や「セカンド・チャンス」、「Age35 恋しくて」などの連続ドラマに主演した。 

私生活では付き人だった深沢邦之と1995年に結婚し、2002年に女児を出産している。

 

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