木下ほうかの学歴と経歴|出身大学高校や中学校の偏差値|不良で吉本新喜劇の出身だった!

 

俳優の木下ほうかさんの出身高校や大学の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。実は木下さんは高校時代は不良で、パンチパーマでバイクを乗り回していました。学生時代のエピソードや情報、当時の画像なども併せてご紹介いたします

 

木下ほうか(きのした ほうか)

 

2

 

1964124日生

身長174

血液型はO型

 

大阪府大東市出身の俳優

本名は木下鳳華(ほうか)

 

以下では木下ほうかさんの出身高校や大学の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介いたします




 

目次

経歴・プロフィールの詳細

 

16歳だった1980年にオーディションに合格して、映画「ガキ帝国」で俳優デビュー。 

1985年に吉本新喜劇に入団するも、3年間で退団。 

Vシネマに多数出演する傍ら、1990年の「DRAMADAS」でドラマ初出演。 

以降は数多くのドラマや映画に脇役として出演し、ドラマの代表作は「京都殺人案内」や「昼顔」、「ドクターカー」など。 

映画の代表作は「岸和田少年愚連隊」や「寝ずの番」、「次郎長三国志」など。 

2014年ごろからバラエティー番組への出演が増えて、「スカッとジャパン」や「有吉反省会」などにも出演している。

 

木下ほうかの学歴~出身大学(大阪芸術大学)の詳細

 

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出身大学:大阪芸術大学 芸術学部舞台芸術学科 偏差値42(容易)

 

 

 

木下ほうかさんは高校卒業後は、大阪芸術大学に進学します。

 

木下さんは本格的に演技の勉強がしたいと思いこの大学に入学をしています。

 

大学では舞台芸術を専攻しており、俳優の古田新太さんは後輩にあたり、学生時代は同じラーメン店でアルバイトをする仲でした。

 

木下さんは大学時代は空手部に在籍をしていましたが、空手にのめり込み大会で入賞するほどの腕前になっています。

 

そのため最終的には主将も務めていました。

 

また大学時代には同級生と5人で劇団を立ち上げ活動をしていました。

 

なお木下さんは大学卒業後は吉本興業のオーディションを経て、吉本新喜劇の団員となっています。

 

当時は吉本興業の「合格したら、即デビュー!」というキャッチコピーに心動かされて興味本位で受けており、このことについてはインタビューで次のように話しています。

 

「東京の大手のプロダクションにもプロフィルを送っていたので、『二次審査に来て下さい』って連絡がきたりしていたんですけど、どうせ落ちると思って行かなかったんですよ。吉本は大阪だし、たまたま募集していたから興味本位で受けたんです」

 

しかし吉本新喜劇では目立つ存在にはなれずに、3年間で退団しています。

 

25歳だった1989年に、吉本の先輩だった島田紳助さんのアドバイスで上京しています。

 

 

 

上京後は人脈作りに励んで関係者の信用を掴み、様々なドラマや映画に出演するほどの中堅俳優となりました。 

 

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木下ほうかの学歴~出身高校(大阪府立野崎高校)の詳細・不良だった!

 

出身高校:大阪府 野崎高校 偏差値37(かなり容易)

 

 

 

木下ほうかさんの出身高校は、府立の共学校の野崎高校です。

 

この高校は1976年開校の府立高校で、体育コースを設置しているので部活動が盛んです。

 

高校生の頃はそり込みが入ったパンチパーマという髪型でバイクを乗り回して、当時流行っていたバリバリの不良スタイルでした。

 

3

 

当時のことについてインタビューでは次のように話しています。

 

「僕らの時代は周辺がみんなあんな感じでしたからね。見た目ほど不良だったわけじゃなく、酒やタバコもやらなかったし、中途半端な不良少年でしたよ。」

 

 

また木下さんは高校2年生の時に姉に勧められて映画「ガキ帝国」のオーディションに応募をしており、このことについて次のように話しています。

 

「高校2年生になりたてのころ、井筒和幸監督の『ガキ帝国』という不良映画のオーディションの新聞広告を姉が見つけ、応募したら合格しました。セリフもある役でその時に初めて将来の仕事として役者を考えました。」

 

オーディションは合格になってこの映画で俳優デビューしていますが、端役での出演でした。

 

木下さんは将来役者として本当にやっていけるのか自信がなかったことから、同じ年に開催された高校の文化祭で映画「野菊の墓」を演劇にしてやろうとクラスメイトに提案しました。

 

この演劇は木下さんが主役を演じており、さらには脚本と演出まで担当しています。

 

この文化祭が終了後は木下さんは学校内でのスターのような存在でした。

 

 

そのため非常にモテており、バレンタインデーにはかなりの数のチョコレートを女子からもらっています。

 

文化祭の前か後かは不明ですが、高校2年生の時には交際をしている女子がいたようです。

 

また高校時代はバンド活動もおこなっており、ギターやベース、キーボードなども購入しましたが、どれもものにならなかったため最終的にはボーカルを担当しました。

 

木下さんは高校時代を振り返って、人生の中で最も輝いていた時期だと話していました。

 

【主な卒業生】

はる(お笑い・エルフ)

 

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木下ほうかの学歴~出身中学校(大東市立四条中学校)の詳細

 

出身中学校:大阪府 大東市立四条中学校 偏差値なし

 

 

 

木下ほうかさんの出身中学校は、地元大阪府大東市内の公立校・大東市立四条中学校です。

 

中学・高校を通じて部活動などはおこなっていなかったようです。

 

【主な卒業生】

中村剛也(プロ野球・西武ライオンズ)

 

木下ほうかの学歴~出身小学校(大東市立四条小学校)の詳細

 

出身小学校:大阪府 大東市立四条小学校

 

 

 

木下ほうかさんの出身小学校は、地元大東市内の公立校・大東市立四条小学校です。

 

父親は1級建築士で実家はプール付きの豪邸など、かなり裕福な家庭で育ちました。

 

木下さんは俳優になりたいとは思っていませんでしたが、子供の頃からすでに芸能界への憧れは強かったといいます。

 

 

そして仮面ライダーやドラマ、映画もよく観ており、子供ながらに演技に不自然さや違和感を見つけると「自分ならもっとこうするのに」と考えていたそうです。

 

またかなりやんちゃな子どもだったとのことで、先生の胸を触ったり女子のスカートめくりなども平気でやっていたことを明かしいています。

 

以上が木下ほうかさんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。

主演作こそないものの、確かな演技力で現在までに数え切れないほどの作品に出演しています。

 

 

どのような役でも演じ分けることができる貴重なバイプレーヤーですから、末永い活躍も期待したいです。

 

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