哀川翔の学歴|出身高校(高山高校)大学や中学校の偏差値|父親はパイロットだった!

 

俳優の哀川翔さんの出身高校の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。実は哀川さんの父親はパイロットでしたが、5歳の時に航空事故で亡くなっていました。学生時代のエピソードや情報、若い頃のかっこいい画像なども併せてご紹介いたします

 

哀川翔(あいかわ しょう)

 

哀川

 

1961524日生

身長178

血液型はAB型

 

鹿児島県鹿屋市出身(徳島県生まれ)の俳優、タレント

本名は福地家宏(ふくち いえひろ)

 

以下では哀川翔さんの出身校の偏差値や学生時代のエピソードなどをご紹介いたします

 

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目次

哀川翔の学歴~出身高校(鹿児島県立高山高校)・大学の詳細

 

出身高校:鹿児島県 高山高校 偏差値40(容易・閉校時)

※現在は鹿児島県立楠隼高校

 

 

 

哀川翔さんの出身高校は、県立の共学校の高山(こうやま)高校です。

 

この高校は1895年開校の伝統校でしたが、20163月に新設された鹿児島県立楠隼高校に吸収される形で閉校になっています。

 

高校時代は体操部と陸上部を掛け持ちしており、かなり運動神経は良かったようです。

 

 

高校2年生の時に器械体操の跳馬で県大会3位という記録を残しており、哀川さんの当時の100mのベストタイムは11秒6でした。

 

哀川さんは体操部員の中でもかなり身長が高いでインタビューでは次のように振り返っています。

 

「中学卒業するときには170あって、高校で器械体操部に入ったら178までいった。178センチの体操部員なんていないから、ジャンプ力とかすごかったよ。柔道と器械体操が俺の体をつくったね。」

 

また哀川さんは母子家庭で母親に学費を出して貰っていたことから、真面目に学校に行き高校時代は体育教師を志していました。

 

その一方で高校時代はかなりヤンチャだったらしく、校則違反のバイク通学をしたり、他校の生徒とケンカをするなど暴れん坊だったようです。

 

自身の高校時代についてインタビューで次のように話しています。

 

「高校時代は体操部の部活に明け暮れて、卒業後は日体大(日本体育大学)に行って体育教師になるつもりだったんですよ。先生からも『この調子で体育や部活を頑張れば、推薦書を書いてやる』って言われていて。ところが、願書を自分で取るということを教えてもらっていなくて、気づいた時にはすでに遅し。」

 

哀川さんは推薦を貰っていましたが、願書を出し忘れて受験することができませんでした。

 

母親からは地元で就職するように強く言われましたが、哀川さんは上京がしたかったことから音楽や映像の編集を学べる専門学校に行きたいと口実を作り、母親を説得しています。

 

【主な卒業生】

早乙女愛(女優)

 

そして高校卒業後は東京工学院専門学校(偏差値なし)に進学しました。

 

 

この専門学校は1959年開校で、声優やデザイナー、ゲームクリエイターなどをかなり幅広く育成しています。

 

哀川さんがこの専門学校に入学をしたのは口実を作るためでしたが、入学後は行くからには時間を無駄にしたくないという思いから授業は熱心に受けていました。

 

専門学校在学中には雑誌「Popteen」のライターのアルバイトをしています。

 

また哀川さんは上京をしてきて間もない頃のエピソードについて、インタビューでは次のように話しています。

 

「東京出てきたばっかの頃、ひとりで歌舞伎町で遊んでたんだけど、こっちは田舎くさいカッコしてたんだろうね。不良が5、6人やって来て、俺をサブナードに連れていって、『カネ出せよ』とか言うのよ。『え、誰が?』『いいからカネ出せよ』『何? 俺が? 俺が?』って言って、最後はムカついてボッコボコにしてやったよ、全員(笑)。オマエら、誰にカネよこせっつってんだよ、みたいな。」

 

加えて哀川さんは上京後に、ディスコの仲間とともに路上パフォーマンス集団「劇男一世風靡」を立ち上げています。

 

すると23歳だった1984年に、柳葉敏郎さんらと「一世風靡セピア」として「前略、道上より」でレコードデビューしています。

 

 

1986年にはファーストシングル「青の情景」で、ソロ歌手としてもデビューしています。

 

哀川1

 

さらに1988年に長渕剛さんが主演したテレビドラマ「とんぼ」に出演すると、俳優としても注目を集めます。

 

 

そのため以降は数々のVシネマの主演に起用されて、「Vシネマの帝王」とも呼ばれます。

 

 

その他にもタレントとして数々のバラエティ番組に出演して、人気を博しています。

 

2020年にはYOUTUBEに公式チャンネルを開設しています。

 

 

こちらでは趣味のキャンプや釣りの動画が好評になっています。

 

また娘の福地桃子さんも人気女優となっています。

 

 

そのため親子での共演も増えています。

 

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哀川翔の学歴~出身中学校(鹿屋市立第一鹿屋中学校)の詳細

 

出身中学校:鹿児島県 鹿屋市立第一鹿屋中学校 偏差値なし

 

 

 

哀川翔さんの出身中学校は、地元鹿児島県鹿屋市内の公立校の第一鹿屋中学校です。

 

中学時代は柔道部に在籍しており、インタビューでは次のように話しています。

 

「俺も中学3年間、柔道やってたおかげで、いくら殴られても平気だと思えるから。中学時代だけ?っていうかもしれないけど、鹿児島の柔道って異常に強くて喧嘩なんだよ、もう。」

 

哀川2

 

また自身の中学時代について次のように話しています。

 

「中学の入学式の時点で142センチしかなかったから、超チビだったんだけど、喧嘩むちゃくちゃ強かったのよ。」

 

【主な卒業生】

国生さゆり(タレント)

 

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哀川翔の学歴~出身小学校(鹿屋市立鹿屋小学校)の詳細

 

出身小学校:鹿児島県 鹿屋市立鹿屋小学校

 

 

 

哀川翔さんの出身小学校は、地元鹿屋市内の公立校の鹿屋小学校です。

 

家族構成は母親と妹と弟の4人家族です。

 

 

父親は海上自衛隊のパイロットでしたが、哀川さんが5歳の時に訓練飛行中に空中衝突で亡くなっています。

 

哀川さんは当時のことについて「父親のニュースを5歳ながら覚えていた」と話しています。

 

そして6歳の頃に母親の地元である鹿児島県に引っ越しをしました。

 

母親はしつけが厳しく、特に長男の哀川さんには厳しかったことから母親と取っ組み合いになったこともあるそうです。

 

哀川さんは小学校時代は習字を習っていました。

 

また悪ガキだったことから、頻繁に喧嘩をしておりクラス全員を敵に回したこともあったそうです。

 

 

とは言えこの頃から走るのが早く運動神経抜群で、成績もトップクラスでした。

 

以上が哀川翔さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。

 

当初は歌手としてソロデビューも果たしますが、後に俳優に転向して数多くの作品に出演します。

 

Vシネマの帝王」と呼ばれるほど多くのVシネマに出演後は、テレビや映画からのオファーも多くなり、人気作や話題作にも多数出演しています。

 

 

抜群の存在感を兼ね備えた俳優なので、今後の活躍も大いに期待したいところです。

 

 

経歴・プロフィールの詳細

 

1984年にディスコ仲間と結成した劇男一世風靡のユニット「一世風靡セピア」でデビュー。 

1986年には1stシングル「青の情景」でソロデビュー。

1988年に出演したドラマ「とんぼ」の演技で注目される。 

1991年の「獅子王たちの夏」で映画初出演。 

以降は多くのVシネマに出演する傍ら、テレビドラマや映画にも出演。 

ドラマの代表作は「らんぼう」や「クロサギ」、「世田谷駐在刑事」など。

映画では「デコトラの鷲シリーズ」や「ゼブラーマン」など。

タレントとしてバラエティー番組への出演も多い。

 

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