武井壮の学歴|出身大学高校や中学校の偏差値と学生時代のエピソード

 

筋肉系タレントの代表格の武井壮さんの高校や大学の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。努力を重ねて陸上で日本一になった大学時代や経済的な困窮から文武両道を貫いた高校時代など、学生時代のエピソードや情報も併せてご紹介いたします

 

武井壮(たけい そう)

 

武井

 

197356日生

身長175㎝ 体重69

血液型はA型

 

東京都出身のタレント、アスリート

本名同じ

 

以下では武井壮さんの出身高校や大学の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介します

 

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目次

武井壮の学歴まとめ

 

出身大学:神戸学院大学 法学部→中央学院大学 商学部

出身高校:修徳高校

出身中学校:修徳中学校

出身小学校:葛飾区立亀青小学校

 

武井壮の学歴~出身大学(神戸学院大学・中央学院大学)の詳細

 

出身大学:神戸学院大学 法学部 偏差値43(容易)

 

 

 

武井壮さんは高校卒業後は、神戸学院大学に進学します。

 

後述するように武井さんは高校時代までに様々なスポーツに取り組んでいますが、大学時代は陸上部に所属して短距離走をはじめています。

 

ちなみにそれまでは本格的に陸上競技をおこなった経験はありませんでした。

 

そして大学3年生だった1994年には十種競技に転向しました。

 

十種競技とは次の十種類の競技を2日間でおこなって、合計点数を競うものでオリンピックの正式種目にもなっており、勝者は「キング・オブ・アスリート」と称えられる競技です。

 

(1日目)

100m走

走り幅跳び

砲丸投げ

走り高跳び

400m走

(2日目)

110mハードル

円盤投げ

棒高跳び

やり投げ

1500m走

 

かなり過酷な競技ですが、武井さんは様々なスポーツ経験があったことから、この競技で頭角を現しています。

 

ちなみに武井さんがこの十種競技に転向したのは、当時流行していたこの競技を題材にした漫画「デカスロン」の影響が大きかったと語っています。

 

 

なお武井さんは神戸学院大学4年生の時に、当時24歳で俳優を目指し、坂上忍さんの付け人を務めていた最愛の兄の情(じょう)さんを小腸ガンで亡くしています。

 

 

武井さんは神戸学院大学を卒業は、千葉県の中央学院大学の3年次に編入しています。

 

出身大学:中央学院大学 商学部 偏差値38(かなり容易)

 

 

 

この大学に進学したのは十種競技でスカウトされたからでした。

 

中央学院大学でも陸上部に入部して、ひたすら十種競技に打ち込んだことをインタビューで話しています。

 

「『2年間で日本一になる』と決めていたので、アルバイトも遊びも一切やらず、毎日トレーニングばかりやっていました」

 

そして24歳だった1997年の日本陸上競技選手権大会の十種競技で念願の優勝を飾り、日本一になっています。

 

 

 

しかもその大会ではそれまで7連覇中だった強豪の金子宗弘選手を下し、さらには100m走の10秒54の記録は2015年まで18年間も十種競技の日本最高記録でした。

 

前記のように武井さんは大学から陸上をはじめたばかりか、十種競技をはじめてからわずか2年半で日本一になっています。

 

「1年目で7,000点、2年目で7,300点台、そして3年目に7,606点で日本一。当時の十種競技界にとっても異例のスピードだったみたいで、『武井壮って何者なんだ』って言われていました(笑)」

 

とは言え、当時はかなりの努力を重ねていたことをインタビューでも示唆しています。

 

「何回も泣いたし、ここで。「俺はほかの誰よりも練習してるし、ほかの誰よりも練習以外の時間も一生懸命強くなるために過ごしてんのに、まだ負けるんだ」って思って、毎試合終わった後泣きながら練習してたし」

 

なお武井さんは陸上で日本一になったにも関わらず、誰からも注目されなかったことにガッカリしています。

 

「日本チャンピオンになれたわけですが、実はひどくがっかりしたんです。全く注目されなかったから。チャンピオンになったらスターになれる、人生が開けると思ったのに、街を歩いていても誰も自分に気づかない」

 

そのため後述するように、大学卒業後はゴルフに転向しています。

 

加えてこの大学に在籍した2年間で、高校の教員免許(社会科、商業科)も取得しています。

 

そのため武井さんはインタビューで次のように述べています。

 

「僕にとって中央学院大での2年間は、文字どおり24時間を陸上に捧げた、濃密な時間でした。身体能力が最も早く高まった時期で、日本タイトルも獲れました。陸上以外にも教職免許を社会科と商業科の2つも取得できましたし、たくさんの宝物をもらったキャンパスです」

 

武井さんは同大卒業後に十種競技はやめますが、次はアメリカにゴルフ留学をしています。

 

その際の経緯については次のように話しています。

 

「陸上は、日本王者になったので。もういいや。となり、次何をしようか考えたときに。当時、タイガーウッズがぶいぶいいわしていたときで、タイガーが載っていた雑誌の隣に”帝王”ジャック・ニクラウス。その”帝王”とうい言葉に引かれすぐアメリカのゴルフ会社に俺をオファーしてくれと手紙を書いた」

 

無事にアメリカに渡ってゴルフをはじめていますが、ゴルフ会場でのサンドイッチがおいしすぎて食べ過ぎてしまって太ったことからゴルフは断念しています。

 

ただし本気でプロゴルファーになろうと思ったくらいなのでゴルフもうまく、後にプロゴルファーの古閑美保さんとコラボもしています。

 

 

以降はスポーツトレーナーとして活動を開始したり、萩本欽一さんが主宰する野球のクラブチームの「茨城ゴールデンゴールズ」に入団するなど多彩なキャリアを誇ります。

 

その間に30歳の時からタレント活動もはじめて、39歳の時に出演した「うもれびと」というテレビ番組で注目を集めました。

 

 

現在では筋肉系・アスリート系を代表するような人気タレントとなりました。

 

またYOUTUBEの自身のチャンネル「武井壮百獣の王国」も好評です。

 

 

今後もマルチな活動を展開していきそうなので楽しみですね。

 

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武井壮の学歴~出身高校(修徳高校)の詳細

 

出身高校:東京都 修徳高校 進学コース 偏差値50(普通)

 

 

 

武井壮さんの出身校は、私立の男子校(当時)の修徳高校です。

 

この高校は1904年開校の伝統校で、サッカー部や硬式野球部が都内では強豪して知られています。

 

武井さんは系列の中学校時代に非常に優秀な成績だったことから、この高校へは特待生として進学しており、入学金の免除のほか奨学金の支給という好条件を得ています。

 

当時のこの高校には成績優秀者なら学費の免除、学年3番以内の成績なら入学金免除、定期テストで学年1番の成績をとれば月1万円強の奨学金も支給されていました。

 

ただしその背景には中学校時代から親がおらず、兄とともに暮らしており、経済的に苦しかったことから特待生制度を目的にこの高校に進学しています。

 

 

そのため武井さんは高校3年間は勉強に打ち込んで、定期テストでは常にトップの成績で奨学金の支給を受けていました。

 

受け取った奨学金は生活費に回しています。

 

しかも高校時代は勉強ばかりやっていたわけではなく、ボクシング部に在籍して部活動にも打ち込んでいます。

 

 

このように武井さんの高校時代はまさに「文武両道」を貫いています。

 

そこにもかなりの努力を重ねたことは想像するに難くはないはずです。

 

なお後に文武両道を「二流」として否定した甲子園に出場した監督のコメントに対しては、武井さんは次のように反論しています。

 

武井さんは、自分は物理学を勉強してから陸上を始めたが、それが役に立っており勉強は重要だ、とした。プロ野球選手を目指そうと練習ばかりしていても、実際になれるのは全体の一握りもいない。ではプロ野球選手になってそれが全て一流かというとそうではなくて、プロ野球選手になれなかったとしても、「その教えを胸に、違う道(職業)でも一流の歩き方ができる、というのが一流と思っている」

 

またツイッターでも「学校のスポーツも勉強も「しなくていい」もんじゃねえよ。やればやるだけ人生の武器になんだよ」とつぶやいたこともありました。

 

壮絶な学生時代を経験した武井さんならではのコメントでしょう。

 

【主な卒業生】

北沢豪(サッカー元日本代表)

平野ノラ(お笑い芸人)

松本典子(タレント)

 

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武井壮の学歴~出身中学校(修徳中学校)の詳細

 

出身中学校:東京都 修徳中学校 偏差値49(やや容易)

 

 

 

武井壮さんの出身中学校は、私立の男子校(当時)の修徳中学校です。

 

前記のとおりこの中学校は高校に併設している系列校で、高校には内部進学で進んでいます。

 

武井さんは前述の事情があったため中学校でも勉強に打ち込んで、3年間学年トップの成績を修めています。

 

また野球部に在籍していました。

 

後述するように武井さんは小学校6年生の頃から野球をはじめたため、少年野球チームでは補欠でした。

 

しかし中学校時代は持ち前の運動能力の高さを発揮して、強豪の同校野球部のレギュラーに定着して、1番ライトを務めています。

 

武井さんは金銭的な問題から昼の弁当を持参できなかったのですが、当時の野球部の監督は武井さんの経済的な事情を知っていたので、何かしらを食べさせていました。

 

そのため当時の武井さんは勉強とともに部活動にも励まなくてはならないと考えて、勉強と部活動を両立させています。

 

ちなみに武井さんは中学校時代は当時人気アイドルだった後藤久美子さんにあやかって、「ゴクミ」というあだ名で呼ばれていたことをインタビューで明らかにしています。

 

「オレは今でこそこんなルックスだが、中学時代は日焼けした肌に小顔とエキゾチックな眼差しが話題で、付属の高校の女子の皆さんから可愛がられて当時大人気だった後藤久美子さんからとった『ゴクミ』というあだ名で呼ばれていたくらいキュートだったんだ。。」

 

「百獣王」と呼ばれる現在とはかなりかけ離れたルックスだったようですね。

 

武井壮の学歴~出身小学校(葛飾区立亀青小学校)の詳細

 

出身小学校:東京都 葛飾区立亀青小学校

 

 

 

武井壮さんの出身小学校は、地元葛飾区内の公立校の亀青小学校です。

 

家族構成は両親と2歳上の兄の4人家族です。

 

父親の職業は美容師でした。

 

 

武井さんは9歳の時に両親が離婚して、以降は兄とともに父親に引き取られています。

 

ところが12歳の時に父親が再婚したことから、兄とともにアパート暮らしをすることになります。

 

 

そのため以降は経済的に困窮することとなり、中学校は特待生制度があった修徳中学校をあえて選んで進学しています。

 

 

小学校時代も恵まれていなかった武井さんですが、学校の陸上クラブに所属して、短距離走では学年一の俊足でした。

 

また武井さんは小学校時代に近所の体育大学に通っていた人から教科書をもらって、運動理論を学んでいます。

 

小学校6年生の時には兄の影響で野球をはじめて、地元葛飾区の強豪少年野球チーム「双葉オリオンズ」に入部しています。

 

しかし野球をはじめたばかりだったことから「打てない守れない」ということで小学校時代は補欠でした。

 

以上が武井壮さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。

 

当初はスポーツトレーナーとして活動していましたが、後にタレント活動も開始します。

 

39歳だった2012年にバラエティ番組「笑っていいとも!」にレギュラー出演したことがきっかけで広く顔を知られることになります。

 

 

また現在もマスターズ陸上を中心に現役のアスリートとして活躍し、世界大会でも優勝を飾るなど輝かしい成績を収めています。

 

 

それらに加え俳優としても活動しており、「花燃ゆ」や「99.9」、「いだてん」などの話題作のテレビドラマにも出演しています。

 

 

既に40代に突入していますが、その衰えを見せない肉体で末永い活躍を期待したいところです。

 

 

経歴・プロフィールの詳細

 
2001年からスポーツトレーナーとして活動をはじめる。 

2003年頃からタレント活動をはじめ、2005年には映画「タッチ」に出演。  

2012年から「笑っていいとも!」のレギュラーを務める。 

2013年に「タンクトップファイター」でドラマ初出演し、その後も「極悪がんぼ」や「花子とアン」、「花燃ゆ」などに出演。 

芸能活動のほか、マスターズ陸上にも出場しており、2015年には世界マスターズの4×100Mリレーで優勝を果たした。 

また同年にはインド映画の「ミルカ」に出演した。

 

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