石原良純の学歴と経歴|出身大学高校(慶応大・慶応義塾高校)や中学校の偏差値と学生時代や若い頃の画像

 

人気タレントとして活躍する石原良純さんの出身高校や大学の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。幼少期や学生時代のエピソードや当時の画像なども併せてご紹介いたします

 

石原良純(いしはら よしずみ)

 

石原

 

1962115日生

身長182

血液型はA型

 

神奈川県出身のタレント、俳優

本名同じ

 

以下では石原良純さんの出身高校や大学の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介いたします

 

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石原良純の学歴まとめ

 

出身大学:慶応義塾大学 経済学部

出身高校:慶応義塾高校

出身中学校:慶応義塾普通部

出身小学校:慶応義塾幼稚舎

 

石原良純の学歴~出身大学(慶応義塾大学)の詳細

 

出身大学:慶応義塾大学 経済学部 偏差値68(難関)

 

 

 

石原良純さんは高校卒業後は、慶応大学に進学しています。

 

大学へは一般受験ではなく内部進学ですが、古くからの同大の看板学部である経済学部を無事に卒業していることから、大学時代は頑張ったようです。

 

ちなみに叔父で昭和の大スターだった石原裕次郎さんには、大学の入学祝いとして、スポーツカーのフェアレディをプレゼントされています。

 

大学時代は金融論のゼミに在籍して、当初は商社マンを目指していたことをインタビューで述べています。

 

「経済学部で金融論のゼミに所属していたけれど、学びたい分野だったからというよりは、親しい先輩に誘われたのがきっかけでした。今のように就職活動に合わせてゼミを選ぶといった発想は、当時はあまりありませんでした。ゼミでは銀行などに就職する人が多かったが、私は漠然と商社を目指していました」

 

また石原さんは子供の頃からスポーツが大好きで、大学時代もスキーやスキューバダイビング、合気道やサッカーなどに興じています。

 

大学でもスキー同好会「リーベン」に所属して、系列の慶応幼稚舎の児童たちとともに合宿してスキーを教えたことをインタビューで明らかにしています。

 

大学3年生の時には叔父の石原裕次郎さんが社長を務めていた石原プロに入社し、俳優としてデビューしていますが、デビューは偶然だったと語っています。

 

「デビューは本当に偶然でした。昭和の大スターである叔父の石原裕次郎が、大学生の頃に倒れて入院した。お見舞いに行くと、連日ワイドショーが取材に来ていて、石原裕次郎に大学生の甥がいる、ということが話題になり、映画出演の話をもらいました。今の学生は自分の人生を切り開こう、という思いが強いかもしれませんが、私の偶然のデビューのように、人生何が起こるかわからないものです」

 

 

当初は石原軍団の若手俳優として期待が高く、いきなり主演映画「凶弾」でデビューしています。

 

 

そして石原さんは大学4年生の時からは当時の石原プロモーションの看板番組「西部警察PARTⅢ」にレギュラー出演しています。

 

 

ちなみに石原さんは「西部警察」に出演時に石原プロモーションの先輩だった俳優の舘ひろしさんからボコボコにされたエピソードがあります。

 

きっかけは石原さんが集合時間に遅れたことから、渡哲也さんが舘さんに「シメとけ」と命令。

 

舘さんが石原さんをボコボコにしたところ、渡さんが慌てて「ひろし、何してんだ?」と止めに入ったとのこと。

 

元不良だった舘さんは「シメとけ」の意味を取り違えており、謝罪として以降は石原さんに何か頼まれれば、すべて請け負っていることをバラエティー番組内で明らかにしています。

 

こうして人気俳優になった石原さんですが、裕次郎さんの死去した1989年に7年間在籍した石原プロを離れてしまいました。

 

しかしその後はバラエティー番組に進出し、人気タレントとして現在でも多くの番組に出演しています。

 

 

またいち早く気象予報士の資格を取得して活躍するなど、先見の明もあったようです。

 

 

石原伸晃の学歴|出身大学高校や中学校の偏差値と若い頃の画像

 

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石原良純の学歴~出身高校(慶応義塾高校)の詳細

 

出身高校:神奈川県 慶応義塾高校 偏差値75(超難関)

 

 

 

石原良純さんの出身高校は、私立の男子校の慶応義塾高校です。

 

この高校は1948年開校の慶応義塾大学の系列の私立高校で、自由な校風で知られています。

 

またこの高校の卒業生は基本的に卒業すれば慶応義塾大学に進学できることから、現在ではかなりの難関高校として知られています。

 

石原さんは高校時代は合気道部に所属していました。

 

ただし入部のきっかけはクラスの前と後ろの席の友人が合気道部に入部したことから、流れで入部したとのこと。

 

合気道部では真面目な部員たちが多く、みな医者や弁護士になったと述べています。

 

また高校は男子校で女性の関係者は皆無だったことから、他校の女子マネージャーが羨ましかったとバラエティー番組「誰だって波瀾爆笑」に出演した際に明らかにしています。

 

さらには高校時代の石原さんは生徒会の活動にも関わっており、外務委員長として活動しています。

 

加えて当時の石原家では父親の石原慎太郎さんが絶対的な存在でしたが、晋太郎さんはひと言も「勉強しろ」とは言ったことはないと述べています。

 

 

その反面、一度でも留年したら学校をやめさせるという約束を慎太郎さんとしていますが、良純さんを含め石原家の四兄弟は留年することはありませんでした。

 

さらには当時の慎太郎さんはかなりの「子煩悩」であったエピソードを明らかにしています。

 

「高校生になってぼくが友人とスキーへ出かけると宿にまで、「雪崩があるから崖に近づくな」と電話してくるのもウチのおやじぐらいなものだった。崖がなければスキーはできないじゃないか」

 

高校時代はさほど明るい性格ではなかったようですが、高校2年生の時に学園祭に訪れた他校の女子と意気投合して、初交際をしています。

 

【主な卒業生】

櫻井翔(嵐)

ミッツ・マングローブ(タレント)

小出恵介(俳優)

 

石原伸晃の学歴|出身大学高校や中学校の偏差値と若い頃の画像

 

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石原良純の学歴~出身中学校(慶応義塾普通部)の詳細

 

出身中学校:神奈川県 慶応義塾普通部 偏差値69(難関)

 

 

 

石原良純さんの出身中学校は、私立の男子校の慶応義塾普通部です。

 

石原さんは中学時代はサッカー部に所属しており、ポジションはディフェンス(ストッパー)を務めていました。

 

 

またバラエティー番組「あいつ今何してる?」に出演した際には、当時のサッカー部の主将でサッカー日本代表のオフト監督の通訳も務めたこともある鈴木徳昭さんが中学時代に「日本にもプロサッカーリーグができる」と豪語したことに対し、石原さんは「日本にプロサッカーリーグなんてできるわけがない!」と真っ向から否定したエピソードを明らかにしています。

 

周知のとおり日本にもJリーグができており、石原さんは番組内で全面謝罪したとのこと。

 

また中学時代に弟たちに背の高さを越されないように、毎日牛乳を1リットル飲んだとインタビューで明らかにしています。

 

子供の頃から地図を見るのが好きで、中学時代も地理が得意科目であったことから、後の気象予報士の合格につながっています。

 

加えて石原さんは小学校まではストレートヘアーでしたが、中学校時代に突然天然パーマになったそうです。

 

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石原良純の学歴~出身小学校(慶応義塾幼稚舎)の詳細

 

出身小学校:東京都 慶応義塾幼稚舎

 

 

 

石原良純さんの出身小学校は、私立の共学校の慶応義塾幼稚舎です。

 

石原さんには小学校には「お受験」で入学していますが、以降は大学までエスカレーター式に内部進学をしており、受験は経験していません。

 

また小学校の入学試験以降は、気象予報士の勉強をするまであまり勉強しなかったと話しています。

 

神奈川県の逗子に自宅があったことから、この学校のある東京都渋谷区の広尾まで電車通学をしています。

 

家族構成は両親と4人兄弟の6人家族です。

 

 

父親は作家で元東京都知事の石原慎太郎さんで、4人兄弟の次男として生まれ、兄弟もすべて有名人です。

 

 

長男:石原伸晃 (政治家・元環境大臣)

 

 

三男:石原宏高 (政治家・衆議院議員)

 

 

四男:石原延啓 (画家)

 

 

ちなみに兄の伸晃さんからは「良純がウチの家系で一番IQが高い。だから何を考えているのかわからない」と評されています。

 

父親が人気作家であったことからお手伝いさん付の大きな屋敷に住んでいましたが、子供の頃は4兄弟でひとつの部屋で共同生活をしています。

 

 

また当時の慎太郎さんは真夜中に創作活動をして昼過ぎに起床する生活をしていたので、家族全員でその睡眠にかなりの気を遣っていたことを明らかにしています。

 

「物書きのおやじの活動時間は、皆が寝静まった真夜中のこと。すると当然、起床は昼過ぎとなる。今も昔も、何より睡眠時間を尊ぶおやじの眠りを何人も妨げることは許されない。ドアの開け閉めから水道の蛇口をひねるのまで、家族全員が音を立てぬように細心の注意を払って、おやじが起きるのを待った。子どもたちが遊びに夢中になって思わぬ歓声を上げたり、弟を泣かしでもしようものなら、音もなくスーッと寄ってきた母親に小さな声でこっぴどく叱られた」

 

また当時は父親の言葉が最優先で、子供の就寝は9時と決まってても慎太郎さんが「今日は9時からみなでテレビを見るぞ」と言い出せば、急遽家族そろってのテレビ鑑賞になったそうです。

 

加えて当時はいくらいうことをきかなくとも、母親の「お父さんに言いつけますよ」のひと言には、兄弟そろってすごすごと引き下がらなければなかったと話しています。

 

 

さらに父親の教育方針で、小学生時代から女性のヌード写真を見せられています。

 

また「誰だって波瀾爆笑」に出演した際には、小学校時代は大臣になった兄にイジメられていたことや父親の慎太郎さんが石原さんを抱いたことがないことを告白しています。

 

石原さんは小学校時代には塾や英会話、絵画や水泳など様々な習い事をしています。

 

また資産家の家庭に生まれているので、小学生時代に父親が所有するヨットに乗ったり、海外旅行も経験しています。

 

さらには叔父の石原裕次郎さんが高級外車リンカーンで家に訪れた時は、当時は珍しかったパワーウインドウに驚いたことを明らかにしています。

 

このような少年時代を過ごした石原さんですが、父親の石原慎太郎さんに関しては「ウチの親父は面白い」と前置きした上で、子供の教育に関しては次のようにインタビューで述べています。

 

「ちゃんと教育されている人は何ができるかっていうと、字がキレイで箸がちゃんと持てる。僕は両方できないんですよ。(慎太郎は教育に)興味がなかった。あと、孫が可愛くないとは言わないんだけど……“20分見てたら同じだから”って(言われた)。そんな事やっているより、自分のことやっていた方が楽しいから。教育に割く時間が惜しいだけなんです。本当にそういう人なんですよ。変わってる」

 

加えて小学校時代は切手集めとプラモデル作りに熱中しており、プラモデルは日本海軍の軍艦が好きで、トータルで200隻以上を持っていたとのこと。

 

以上が石原良純さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。

 

当初はイケメン俳優として活躍しましたが、タレント活動を開始するとおぼちゃん育ちの憎めなさもあって、数々の人気バラエティー番組に出演しています。

 

 

また気象予報士の第一人者で、石原さんが気象予報士として活躍するのを見て、数多くの人たちが気象予報士の試験を受験しています。

 

 

未だに高い人気を誇っている人物ですから、息の長い活躍を期待したいところです。

 

石原伸晃の学歴|出身大学高校や中学校の偏差値と若い頃の画像

 

経歴・プロフィールの詳細

 

1982年に石原プロに入社して芸能界入り。 

同年の映画「凶弾」でいきなり主演デビュー。 

テレビドラマでも1983年の「西部警察PartⅢ」でいきなりレギュラーとして起用される。 

翌年から人気ドラマ「太陽にほえろ」でもレギュラー出演。

1989年に石原プロを退社するとバラエティー番組にも出演。

バラエティー番組でも「笑っていいとも!」や「熱血!平成教育委員会」、「ぴったんこカンカン」などに出演。 

1997年に気象予報士の試験に合格。 

私生活では2002年に皮膚科医と結婚し、一男一女の父。

 

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