寺尾聰の学歴と経歴|出身中学校高校や大学の偏差値

 

寺尾聰(てらお あきら)

 

 

1947518日生

身長176

 

神奈川県出身(東京都育ち)の俳優、歌手

 

経歴/プロフィールの詳細

 

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2人きょうだいの弟で姉がおり、父親は俳優の宇野重吉。

 

1964年にフォークグループの「ザ・サベージ」を結成し、ベースを担当。

 

1966年にデビュー曲の「いつまでもいつまでも」や「この手のひらに愛を」がヒットしたが、ほどなくしてグループを脱退。

 

 

1968年に映画「黒部の太陽」で俳優デビュー。

 

(左は宇野重吉)

 

以降は「大都会」や「西部警察」などの石原プロモーション制作のアクションドラマで活躍。

 

 

1981年にソロとしての6枚目のシングル「ルビーの指環」が爆発的な大ヒットを記録。

 

 

同年のレコード大賞を受賞して、NHK紅白歌合戦にも出場。

 

以降は俳優業が中心となり、2001年の映画「雨あがる」で日本アカデミー賞最優秀主演男優賞を受賞。

 

 

私生活では女優の范文雀と結婚したが離婚して、女優の星野真弓と再婚した。

 

学歴~出身中学校・高校の詳細

 

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出身高校:法政大学第二高校(退学) 偏差値70(現在)

※後に和光学園高校を卒業

 

寺尾聰さんが入学したのは、私立の男子校の法政二高です。

 

現在の同校は進学実績が向上して偏差値は70ほどですが、寺尾さんの時代はさほどレベルは高くありませんでした。

 

目黒区立第十中学校から同校に進学しています。

 

寺尾さんは子供の頃から野球をやっており、中学校では4番打者を務めています。

 

そのため甲子園を目指すために同校に進学しています(当時の同校の野球部は強豪でした)

 

しかし当時の寺尾さんは不良で、ケンカや悪さで警察沙汰になることもしばしば。

 

そのため高校は入学直後に退学処分となっています。

 

翌年に和光学園高校(偏差値50・現在)に入学し直しますが、こちらでも落ち着かず1年次に2度の留年をしており、20歳を過ぎて高校を卒業しています。

 

和光時代は昼食に校外の店から出前をとっており、現在でも同校の伝説になっているとか。

 

なお高校時代に警察にお世話になった際に、父親で人気俳優だった宇野重吉さんが人目もはばからずに署に迎えに来てくれたことをきっかけに改心しています。

 

また高校生の時にザ・サベージを結成してデビューしています。

 

学歴~出身大学の詳細

 



 

出身大学:専門学校 文化学院 偏差値なし

 

寺尾聰さんは高校卒業後は、専門学校の文化学院に進学しています。

 

同校は大正時代に創立の日本の服飾系の専門学校の草分けで、女優の南田洋子さんや前田美波里さんらも卒業生です。

 

文化学院に入学した頃は既に音楽活動をはじめていましたが、無事に卒業しています。

 

以降の活躍は周知の通りで、歌手としても俳優としてもともに大きな成功を収めています。

 

このところは俳優活動がメインですが、抜群の演技力で出演作を盛り上げています。

 

年齢は既に70代に突入していますが、末永い活躍を期待したいところです。

 

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