小柳ルミ子の学歴と経歴|出身高校大学や中学校の偏差値と若い頃のかわいい画像

 

歌手の小柳ルミ子さんの出身校の偏差値などの学歴情報をお送りします。女優としても人気を誇った小柳さんですが、実は宝塚歌劇団の出身者でした。学生時代のエピソードや情報、若い頃のかわいい画像なども併せてご紹介いたします

 

小柳ルミ子(こやなぎ るみこ)

 

 

195272日生

身長160

血液型はA型

 

福岡県福岡市出身の歌手、女優、タレント

本名は小柳留美子(読みは同じ)

 

以下では小柳ルミ子さんの出身校の偏差値や学生時代のエピソードなどをご紹介いたします

 

目次

経歴/プロフィールの詳細

 

1970年に夏川るみの芸名で宝塚歌劇団からデビューするも、2か月で退団。 

同年のNHKの朝ドラ「虹」で女優デビュー。

1971年に「わたしの城下町」で歌手デビューすると、同年の年間1位になるほどのヒットを記録して、レコード大賞最優秀新人賞も受賞。 

同年にNHK紅白歌合戦に初出場。 

以降も「瀬戸の花嫁」や「京のにわか雨」、「お久しぶりね」などの楽曲がヒットを記録。 

1981年の「春まっしぐら!」でドラマ初主演。 

1982年の「誘拐報道」で日本アカデミー賞最優秀助演女優賞を、翌年の「白蛇抄」で最優秀主演女優賞を受賞。 

タレントとしても活動しており、「ドリフの大爆笑」や「セイシュンの食卓」、「あの人は今!?」などのバラエティー番組にも出演。

1989年に13歳年下の大澄賢也と結婚したが、2000年に離婚した。 

 

小柳ルミ子の学歴~出身高校(宝塚音楽学校)・大学の詳細

 

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出身高校:各種学校 宝塚音楽学校 超難関

 

 

 

小柳ルミ子さんは中学卒業後は、高校ではなく宝塚音楽学校に進学します。

 

幼い時から利発で勉強もよくできた小柳さんですが、宝塚音楽学校も40倍もの倍率を突破して、上から5番目の成績で合格しています。

 

 

なお当時の宝塚音楽学校は高卒の資格をサポートする制度がなかったことから、小柳さんの最終学歴は「中卒」ということになります。

 

ちなみに当時の小柳さんはあくまでも「宝塚は通過点」と考えており、歌手になることが夢でした。

 

また音楽学校では周囲のほとんどが年上で、小柳さんはクラスの委員を務めていたことから注意したりするのが大変だったとインタビューで話しています。

 

 

音楽学校時代も朝9時から夜10時まで学んでおり、同校を首席で卒業しています。

 

そして17歳だった1970年に宝塚歌劇団に入団して、「夏川るみ」の芸名でデビューしています。

 

しかし小柳さんは歌手としてデビューするために、宝塚歌劇団は初舞台の出演のみでわずか2か月後に退団しています。

 

すると1971年にデビューシングル「わたしの城下町」がいきなり大ヒットしています。

 

 

以降も「瀬戸の花嫁」や「京のにわか雨」などがヒットして、人気歌手の地位を不動のものにしています。

 

 

また女優としても数々の作品に出演しています。

 

 

今後の活動にも注目ですね。

 

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小柳ルミ子の学歴~出身中学校(筑紫女学園中学校)の詳細

 

出身中学校:福岡県 筑紫女学園中学校 偏差値

 

 

 

小柳ルミ子さんの出身中学校は、私立の筑紫女学園中学校です。

 

この中学校は1947年開校の私立中学校で、地元では古くからの「お嬢様学校」として知られています。

 

中学時代は帰宅部で、部活動などはおこなっていません。

 

 

その反面、当時から芸能界を目指しており、クラシックバレエやタップダンス、モダンダンス、歌など多くの習い事をしていました。

 

そして小柳さんは中学時代に母親の勧めで、宝塚音楽学校を受験することを決意しています。

 

中学3年生だった1968年3月に、見事に宝塚音楽学校に一発合格しています。

 

ちなみに宝塚音楽学校は中学3年生から高校3年生まで4度受験できますが、一発合格するのは当時から稀な存在でした。

 

加えて小柳さんは勉強も得意で、学校の成績も優秀でした。

 

【主な卒業生】

山本美月(女優)

 

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小柳ルミ子の学歴~出身小学校(福岡市立西新小学校)の詳細

 

出身小学校:福岡県 福岡市立西新小学校

 

 

 

小柳ルミ子さんの出身小学校は、地元福岡市内の公立校の西新小学校です。

 

家族構成は両親と本人の3人家族です(ひとりっ子)。

 

実家は地元福岡市内の運送業を営んでおり、裕福な家庭に生まれています。

 

ただし小柳さんが3歳の時に、結核で父親を亡くしています。

 

またその後に母親は再婚しており、新しい父親ができています。

 

 

小柳さんの母親は娘を芸能界入りさせたかったので、幼い頃からクラシックバレエや日舞、ダンスなど数多くの習い事をさせています。

 

多い時には週に8つもの習い事をしていました。

 

 

当時から母親はマネージャーのような役割も果たしており、二人三脚で芸能界を目指していました。

 

加えて母親は子供の頃から最終の意思決定は小柳さんに決めさせていたことをインタビューで話しています。

 

「たとえば私はピアノが大嫌いだったんですけど、それを言ったときも『あ、そう。嫌ならやめれば』。宝塚を受けるときも辞めるときも、『自分で決めなさい』。そうするとね、人のせいにできないんですよ。自分で考えて自分で決めたんだから、自分で責任をとらなきゃいけない。今思えば、きっとそれが母の戦略だったんでしょうね」

 

以上が小柳ルミ子さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。

 

歌手としてヒット曲を連発して、時代を代表する人気歌手のひとりになっています。

 

また女優やタレントとしても成功を収めています。

 

加えてダンサーの大澄賢也さんとの結婚・離婚は大きな話題になっています。

 

 

末永い活躍にも期待したいところです。

 

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