市川由紀乃の学歴と経歴|出身高校大学や中学校の偏差値|生い立ちが壮絶だった!

 

演歌歌手の市川由紀乃さんの出身高校の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。市川さんは生い立ちが壮絶で、現在でいう「ヤングケアラー」でした。学生時代のエピソードや情報、若い頃のかわいい画像なども併せてご紹介いたします

 

市川由紀乃(いちかわ ゆきの)

 

 

197618日生

身長170.5

 

埼玉県浦和市(現在はさいたま市浦和区)出身の演歌歌手

本名は松村真利(まつむら まり)

 

以下では市川由紀乃さんの出身校の偏差値や学生時代のエピソードなどをご紹介いたします




 

目次

経歴/プロフィールの詳細

 

1992年に埼玉新聞社主催のカラオケ大会で優勝したところをスカウトされる。 

1993年に「おんなの祭り」でデビュー。

1994年に「新宿音楽祭」と「メガロポリス歌謡祭」の新人賞を受賞。 

20014月からラジオ番組「走れ!歌謡曲」のパーソナリティを1年間務める。 

20044月に歌手を引退したが、2006年に復帰。

2016年に16thシングル「心かさねて」がロングセラーとなって、同年12月にNHK紅白歌合戦にも初出場。

20173月にリリースした「はぐれ花」も、自己最高位のオリコン11位を記録。

同年12月に2度目の紅白歌合戦出場。

 

市川由紀乃の学歴~出身高校・大学の詳細

 

スポンサードリンク

 

出身高校:不明(中退)

 

市川由紀乃さんは高校を中退していますが、校名等は不明です。

 

後に市川さんは埼玉栄高校の吹奏楽部とコラボしていますが、この学校は母校ではありません。

 

高校時代は帰宅部で、部活動などはおこなっていません。

 

また当時は既に歌手を目指しており、歌のレッスンに励んでいました。

 

加えて当時は大相撲力士の舞の海さんの大ファンで、ファンレターを出したり、地方巡業の追っかけをしたこともありました。

 

市川さんは高校1年生だった1991年に、NHKののど自慢に出場して優勝しています。

 

 

そして翌年には母親が参加賞の食料品を目当てで、地元の埼玉県が主宰をするカラオケ大会で優勝をしたところ芸能事務所からスカウトをされました。

 

市川さんは事務所に入り後は都はるみさんの育ての親である作曲家の市川昭介さんに弟子入りをしています。

 

市川さんは所属事務所の社長に「歌をとるか、学業をとるか?」と聞かれており。二兎を追えるほどこの世界は甘くないと思い、高校2年生の時に高校を中退しています。

 

そのため大学などにも進学していません。

 

ちなみにそれまでは歌手になれなければ大学に進学して、薬剤師になることが夢でした。

 

17歳だった1991年12月に「おんなの祭り」で、演歌歌手としてデビューしています。

 

 

ただしデビュー曲はあまり売れませんでした。

 

デビュー後は下積み生活が長く、デビュー9年目には精神的に追い詰められて、いったんは歌手を辞めています。

 

 

それでも40歳だった20016年に26枚目シングル「心かさねて」がロングヒットになり、ようやく人気演歌歌手になっています。

 

 

この年には念願のNHK紅白歌合戦に初出場しています。

 

 

そのためYOUTUBEの公式チャンネルも人気を博しています。

 

 

今後の活動にも注目ですね。

 

スポンサードリンク

 

市川由紀乃の学歴~出身中学校(越谷市立光陽中学校)の詳細・生い立ちが壮絶だった!

 

出身中学校:埼玉県 越谷市立光陽中学校 偏差値なし

 

 

 

市川由紀乃さんの出身中学校は、埼玉県越谷市内の公立校・越谷市立光陽中学校です。

 

中学1年生の1学期までは浦和市内(現在はさいたま市浦和区)の公立校に通学していました。

 

中学1年生の時に両親が離婚をしており、このことがきっかけで越谷市に引っ越しています。

 

またこのことで市川さんの生活は一変することになります。

 

8歳年上の兄は脳性麻痺の障害があったことから、成人していても学習能力は小学生レベルで左半身が不自由でした。

 

また母親は週6で不動産事務の仕事をしており生計を立てていたため、母親に変わって市川さんが兄の面倒をみていました。

 

当時のことについて市川さんはインタビューで次のように振り返っています。

 

「当時はヤングケアラーという言葉もない時代でした。学校が終わった放課後に、兄のリハビリも兼かねて散歩に行ったり、買い物に行ったりしていました」

 

当時は6畳一間のアパートに住んでおり、仕事で帰って来るのが遅い母親の代わりに夕食を作って兄の世話をしていました。

 

余裕のない生活を送っていたことから、当時のごちそうは具なしの素うどんだったといいます。

 

乾麺は安かったことから特売日に大量に購入しておき、3種類の麺つゆを用意して食べるのが好きだったと振り返っていました。

 

市川さんは友人に恵まれており、周りには祖母の介護や身体が不自由な家族の世話をしている友人が多くいました。

 

そのため自身の状況を話したときには共感してくれる友人がいたことで、かなり救われたようです。

 

当時は家庭環境や将来のことを考えると、不安でいっぱいだったとのことです。

 

なお残念ながらお兄さんは2008年に逝去しています。

 

また市川さんは中学時代はテニス部に在籍をしていましたが、経済的に余裕がなかったことからラケットやウェアなどは先輩から借りています。

 

市川さんは中学3年生の時に学校に行きたくないと思う時期があり、このことについてはインタビューで次のように話しています。

 

「中3のとき、ほんの数日でしたが、学校に行きたくなくなったときも担任の先生が毎朝、ほら行くよ!と明るく迎えに来てくれて。越谷に来てよかったなとしみじみ思いました」

 

【主な卒業生】

佐々木麻梨江(タレント)

青木佑磨(シンガーソングライター)

 

スポンサードリンク

 

市川由紀乃の学歴~出身小学校(浦和市立本太小学校)の詳細

 

出身小学校:埼玉県 浦和市立本太小学校

※現在はさいたま市立本太小学校

 

 

 

市川由紀乃さんの出身小学校は公立の浦和市立本太小学校です。

 

家族構成は両親と兄の4人家族です。

 

前記のように後に両親は離婚しています。

 

歌が好きな母親の影響もあって、自宅にはよく演歌や歌謡曲が流れているような環境でした。

 

そのため市川さんは物心ついた時にはすでに歌を歌っており、4歳の頃から民謡を習っています。

 

市川さんは数々ののど自慢大会で優勝をするほどだったといいます。

 

 

カラオケ大会に出場をする際には、直前に母親と電話ボックスの中で歌の練習をしていました。

 

また子供の頃から引っ込み思案な性格でした。

 

以上が市川由紀乃さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。

 

下積み時代が非常に長く、いったんは演歌を辞めています。

 

兄を励ますために再起して歌手に復帰しますが、その2年後に最愛の兄は他界してしまいます。

 

数々の困難に苛まれながらも、40歳の時にリリースした「心かさねて」がロングヒットとなって、遅咲きのブレイクを果たしています。

 

 

かなりの苦労を重ねているだけあって、末永い活躍を期待したいところです。

 

スポンサードリンク



 

ここまでお読みいただきありがとうございました。ご質問やご意見などがございましたら、お手数をおかけしますがページ上の「お問い合わせ」よりお願いいたします。また出身校や偏差値情報などのリサーチには万全を期しているつもりですが誤りなどがあった場合はご指摘していただけると幸いです。なお返信はあるだけ早くおこなうようにしていますが、数日かかる場合があることをご了承ください。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

目次