米津玄師の学歴|出身高校(徳島商業)大学や中学校の偏差値と学生時代のかっこいい画像

 

人気アーティストの米津玄師さんの出身中学校や高校の偏差値などの学歴情報をお送りします。ふさぎがちだった幼少期や音楽に目覚めた中学時代・高校時代の情報など学生時代のエピソードや当時のかっこいい画像などを併せてご紹介します

 

米津玄師(よねづ けんし)

 

 

 

1991310日生

身長188

血液型はO型

 

徳島県徳島市出身のシンガーソングライター

本名同じ、別名義はハチ

 

以下では米津玄師さんの学歴や経歴、出身中学校や高校の偏差値、中学時代や高校時代のエピソードなどをご紹介していきます。

 

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米津玄師の学歴まとめ

 

出身専門学校:大阪美術専門学校(中退)

出身高校:徳島県立徳島商業高校

出身中学校:徳島市立津田中学校

出身小学校:徳島市立津田小学校

 

米津玄師の学歴~出身高校(徳島商業高校)の詳細

 

出身高校:徳島県 徳島商業高校 偏差値47(やや容易)

 

 

 

米津玄師さんの出身高校は、県立の共学校の徳島商業高校です。

 

この高校は1909年開校の県立の商業高校です。

 

また同校は甲子園で優勝経験もある硬式野球部を筆頭に、スポーツが盛んであることで知られています。

 

また同校は以下の3つの学科を設置していますが、米津さんがどの学科に在籍したかは不明です。

 

商業:偏差値46

会計情報:偏差値46

情報処理:偏差値46

 

米津さんは高校時代もあまり周囲の人とは絡まずに、同校に在学中は楽曲や動画の製作に明け暮れていました。

 

学校にもギターを担いで自転車で通学しています。

 

(ツイッターに投稿した高校時代の画像)

 

中学時代に比べて、高校時代は輪をかけて製作活動にのめり込んだようです。

 

校内では昼休みにはいつもイヤフォンをつけて音楽を聴いており、聴いている最中に話しかけられるのがすごく嫌で、同級生が声をかけたらものすごく怒ったというエピソードも残っています。

 

また教室が騒がしかった時には米津さんが机をバーンと叩いて、教室を出て行ったこともありました。

 

高校時代の文化祭には「Toy Circus Show」というバンドを率いて演奏を披露しています。

 

当時はライブもおこなっていますが、「楽しくなかった」と話しています。

 

「高校生になってからも何回かライブやったんです。その時に、何をどうしていいかわかんない感覚がすごくあって。スタジオで音を出しても、自分の声がまったくきこえなかったりとか、全然楽しくなくて。楽しもう楽しもうとはしてるんですけど、「ほんとにこれ、楽しいのかな」って思ってて……どうしたらいいのかわからない、っていうのがあって」

 

また米津さんは高校時代にダンスにチャレンジしたことをインタビューで明らかにしています。

 

「でもダンス自体には昔から興味はあったんです。高校生くらいのころにダンスがすごく好きな友だちがいたんですけど、踊ってるのを傍から見てかっこいいなって思ってて。ちょっと教えてもらってやってみても全然できなかったんですけど」

 

本人によれば学校によい思い出はなく、家から自転車ですぐの音楽ショップに入り浸っていたとのこと。

 

 

とは言え高校3年生の頃には「Late rabbit edda」というバンドを組んで、10代限定のロックフェス「閃光ライオット」に応募しています(結果は2次審査で落選)

 

このあたりからはどうやら理解者も現れたようです。

 

(高校時代)

 

【主な卒業生】

三木武夫(内閣総理大臣)

坂東英二(タレント・元野球選手)

川上憲伸(元野球選手)

 

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米津玄師の学歴~出身大学・専門学校(大阪美術専門学校)の詳細

 

出身大学:大阪美術専門学校 中退 偏差値なし

 

 

 

米津玄師さんは高校卒業後は、大阪美術専門学校に進学します

 

同校は総合デザイン学科とコミック・アート学科を設置する専門学校で、前者はグラフィックデザイナーやデジタルデザイナー、後者は漫画家やアニメーターなどを育成しています。

 

ただし米津さんはインタビューで学校ではちゃんと勉強していなかったことを明らかにしています。

 

「学生としてはしょーもない学生で、学校から絵の技術なども学んだことはなく、何しに学校に行ってたのか?と聞かれたら、ほぼ遊びに行っていたので、学校の憩いの場みたいな休憩スペースでひたすらモンハン(ゲーム)と卓球をやるような学生だった」

 

専門学校在籍時にはバンドを組んだりしましたが(担当はボーカルとベース)、他のメンバーとの温度差もあったことや米津さん自身がひとりで活動することが好きだったなどという理由でバンド活動は休止しています。

 

なお米津さんは専門学校時代にアメリカのVampire Weekend(ヴァンパイア・ウィークエンド)のデビューアルバム「Vampire Weekend」に大きな影響を受けています。

 

(ヴァンパイア・ウィークエンド)

 

「スカスカでへなちょこな感じに聞こえるけど、独創的でメロディが美しく、スカスカかと思いきや必要な音しか鳴らしていない合理性とか、そういうものを一番最初に聴いた時にとんでもない衝撃を受けて、このアルバムはものすごく聴きました。バイブル的なアルバムです」

 

さらに専門学校時代にはアメリカのロックバンド「トーキングヘッズ」の「リメインライト」というアルバムにも影響を受けたと語っています。

 

 

また1年あまりで専門学校も中退してしまいます。

 

加えて専門学校時代には米津さんはボーカロイドに出会っています。

 

そしてボーカロイドで曲を作ったら非常に楽しかったことから、のめり込んでいき、入学当初から「ハチ」名義でニコニコ動画への投稿を開始します。

 

ちなみに「ハチ」という名前の由来については、米津さんの姉が「ナナ」という漫画が大好きだったから、それをもじって「ハチ」になったとのこと。

 

もともとあまり人とコミュニケーションをとるのは好まないことから、以降は自らの手によって楽曲の制作を進めていきました。

 

最初は本人が歌う形で30本程度の動画を投稿しましたが、実力不足を感じてその後に削除しています。

 

ところが2009年にVOCLOIDを使って動画を製作するようになりますが、これが大いにウケて、総数で2000万回以上の再生回数を記録することになります。

 

(当時のマトリョシカの動画)

 

また2010年には自主制作アルバムの「花束と水槽」をリリース。

 

 

同じ年には自主制作アルバムの「OFFICIAL ORANGE」もリリースしています。

 

 

動画やアルバムの投稿で才能を見出され、その後のメジャーデビューへとつながっていきました。

 

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米津玄師の学歴~出身中学校(徳島市立津田中学校)の詳細

 

出身中学校:徳島県 徳島市立津田中学校 偏差値なし

 

 

 

米津玄師さんは小学校を卒業すると、地元徳島市内の公立校の津田中学校に進学しています。

 

中学時代はスピッツやアジアンカンフージェネレーション、BUNP OF CHICKEN、RED WINPSなどのJ-POPや日本のロックバンドの曲を好んで聴いており、作詞などもかなり吟味したとインタビューで明らかにしています。

 

そのためオリジナルの曲を作りたいという気持ちが強くなり、実際に局の制作をはじめています。

 

米津さんは当初はギターで作曲していましたが納得するものが作れなかったことから、打ち込みでの作曲をすることにしました。

 

そして中学2年生からパソコンで音楽を演奏したり製作するデスクトップ・ミュージックをはじめています。

 

最初に完成した曲は当時好きだったNHKの「みんなのうた」に影響を受けた「えのぐの歌」という曲でした。

 

この歌のデータは残っていませんが、どんな歌だったかは覚えていると米津さんは語っています。

 

さらに中学2年生の時には地元の幼馴染とバンドを組んでおり、このあたりからプロになりたいと思いはじめたそうです。

 

「自分の音楽が作りたくてバンドを組んで……別に音楽好きじゃない友達とかも呼んで、「とりあえずバンドやろう」って組んで目標を文化祭にしたんですよね」

 

また中学3年生の時にはマルチトラック・レコーダーを使用して作曲もおこなうほどでした。

 

とは言え自身の中学時代を振り返って「悶々と生きていた」とも話しており、当時は自分のことを分かってくれる人や話の合う人、趣味の合う人は周りにはいなかったとも語っています。

 

校内では騒いだりせずに宮沢賢治などの本を読んで静かに過ごすタイプだったと話しています。

 

また中学時代はテニス部に所属していましたが、以降は運動はやっていないとも話しています。

 

後述するように米津さんは幼少期に自閉症を患っており、特に他人とコミュニケーションをとるのが非常に苦手だったことから、中学時代まではかなり人間関係に悩んでいました。

 

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米津玄師の学歴~出身小学校(徳島市立津田小学校)の詳細

 

出身小学校:徳島県 徳島市立津田小学校

 

 

 

米津玄師さんの出身小学校は、地元徳島市の公立校の津田小学校です。

 

家族構成は両親と姉の4人家族です。

 

父親はコンピューター関連の仕事をしています。

 

また米津さんは祖父が大好きでした。

 

ちなみに米津さんは2018年のNHK紅白歌合戦に出場した際には、亡くなった祖父に捧げた「LEMON」という曲を歌っており、祖父の死もオファーを受けた理由のひとつだったことを明らかにしています。

 

「祖父の他界から1年後となるこの12月の大晦日に、自身の故郷、そして祖父の生きていた土地・徳島でこの曲を歌う事の意味を感じることが出来た為、この度のオファーを受けさせて頂くという結論に達しました」

 

幼少期から高機能自閉症を患っており、人とコミュニケーションをとるのが非常に苦手でした。

 

「幼稚園の時に鬼ごっこかなんかしてて、唇をすごく怪我したんですよ。病院で応急処置をして幼稚園に帰って、みんなの前に立った時に、すごい訝しげな目を向けられたというか、「うわー……」みたいな感じで。普通ではなくなってしまったなって思ったんですよね、その時に。 自分が怪獣のようなものになってしまったんだなという感覚があった」

 

小さい頃はひとりで黙々と絵を描いているような子供で、昔は漫画家になりたかったとインタビューで述べています。

 

「そもそも絵を描くのは好きで、昔は本当に漫画家になりたかったんです。たぶん親の影響だと思うんですけど」

 

また小学生の頃にはほとんど誰とも話をせずに、自分の妄想から生まれたキャラクターと会話するかなり変わった少年でした。

 

このあたりについては次のようにインタビューで述べています。

 

「小学校高学年ぐらいの時にはもう、居心地の悪さみたいなものを感じていて。その中で編み出したのは、自分の頭の中で架空の人物と話すっていう。そこではちゃんと会話が成り立っていて、あたりまえのことをあたりまえに楽しみ合ったり、あたりまえのように反発し合ったりして……俺はずっと、普通の人になりたかったんですよ」

 

また小学校3年生の時に当時大ヒットしていた「だんご3兄弟」がはじめて買ったCDだと話しており、それまでは音楽を聴かない生活をしていました。

 

そのため米津さん自身もこの「だんご3兄弟」が自身の音楽の根底にあり、そこから発展していったとインタビューで語っています。

 

また米津さんは小学校時代にスタジオジブリの映画「千と千尋の神隠し」を観て衝撃を受けており、どうしたらこの世界観を描けるのだろうと宮崎駿さんやジブリ関連の本を読み漁ったことを明らかにしています。

 

加えて当時は宮崎駿さんの漫画「風の谷のナウシカ」が大好きでした。

 

なお米津さんは現在でもジブリのファンだと公言しています。

 

そして小学年の時にインターネットでフラッシュアニメと出会ったことで、BGMに使われていたBUNP OF CHICKNなどの音楽に没頭していくことになります。

 

「小学校5年生の時に実家にインターネットが開通し、そこでインターネットの向こう側でFLUSHアニメが流行っていて、どこぞの誰とわからない人が既存のアニメに音楽をつけて流すという文化が作られてて、それをはじめて観た時に「音楽ってこんなにいいものだったんだ」と衝撃を受け、その体験が音楽をはじめることになったきっかけ」

 

以上が米津玄師さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。

 

2013年にメジャーデビュー後は、数々のヒット曲をリリースしています。

 

 

 

 

 

現在では若手アーティストの注目株のひとりですし、2018年にはNHKの紅白歌合戦にも出場しました

 

さらにプロデュースを担当した「foorin」の「パプリカ」も大ヒットしました。

 

 

また音楽活動以外でもイラストレーターやビデオグラファーとしても活動しており、CDのジャケットデザインなども自らの手で手掛けていることでも知られています。

 

 

 

今後を期待したいアーティストのひとりです。

 

経歴/プロフィールの詳細 

 

1991年(0歳):徳島県徳島市で生まれる

2003年(12歳):作曲をはじめる

2004年(13歳):デスクトップ・ミュージックをはじめる

2004年(13歳):バンド活動をはじめる

2005年(14歳):マルチトラック・レコーダーを使用し作曲を行う

2008年(17歳):バンド「late rabbit edda」を結成しロックフェス「閃光ライオット」に応募するも落選

2009年(18歳):「ハチ」名義でニコニコ動画への投稿を開始

2009年(18歳):VOCLOIDを使って動画を制作

2010年(19歳):自主制作アルバムの「花束と水槽」をリリース

2013年(22歳):シングル「サンタマリア」をリリースし、メジャーソロデビュー

2014年(23歳):オリジナルアルバム「YANKEE」を発売し、オリコン週間アルバムランキングにて初登場2位を記録

2017年(26歳):6thシングル「orion」をリリースし、NHKテレビアニメ「3月のライオン」の第2クールエンディングテーマに起用

2018年(27歳):第69回NHK紅白歌合戦に初出場

2018年(27歳):Foorinの「パプリカ」をプロデュース

2019年(28歳):第61回日本レコード大賞を受賞

 

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ここまでお読みいただきありがとうございました。ご質問やご意見などがございましたら、お手数をおかけしますがページ上の「お問い合わせ」よりお願いいたします。また出身校や偏差値情報などのリサーチには万全を期しているつもりですが誤りなどがあった場合はご指摘していただけると幸いです。なお返信はあるだけ早くおこなうようにしていますが、数日かかる場合があることをご了承ください。

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