吉永小百合の学歴と経歴|出身大学高校(早稲田大・都立駒場)や中学校の偏差値と若い頃のかわいすぎる画像

 

女優の吉永小百合さんの出身高校や大学の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。実は吉永さんは高校を中退していますが、驚きの経緯で大学に進学していました。学生時代のエピソードや情報、若い頃のかわいすぎる画像なども併せてご紹介いたします

 

吉永小百合(よしなが さゆり)

 

 

1945313日生

身長155

血液型はO型

 

東京都渋谷区出身の女優、歌手

本名同じ(結婚前)

 

以下では吉永小百合さんの出身高校や大学の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介します

 

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吉永小百合の学歴まとめ

 

出身大学:早稲田大学 第二文学部

出身高校:都立駒場高校→精華女子高校

出身中学校:渋谷区立代々木中学校

出身小学校:渋谷区立上原小学校

 

吉永小百合の学歴~出身大学(早稲田大学)の詳細

 

出身大学:早稲田大学 第二文学部 偏差値60(閉鎖時)

 

 

 

 

吉永小百合さんは20歳だった1965年に、早稲田大学の第二文学部(夜間部)に入学しています。

 

第二文学部は当時夜間部だった社会科学部と並び、夜間部としては人気が高く異例の偏差値の高さを誇りましたが2010年に廃止されています。

 

吉永さんは高校は中退しており大学進学を目指して大検を受験中でしたが、全科目合格できていませんでした。

 

ところが現在では考えられないことですが早稲田大学側が「高卒と同等以上の学力がある」と認定して特別措置により入学しています。

 

 

大学では主に西洋史学などを学んでいました。

 

また大学時代は馬術部に在籍していました。

 

吉永さんは高校時代に女優や歌手として大ブレイクを果たしており、大学時代も数々の映画に出演していました。

 

特に大学2年生だった1966年に主演した映画「愛と死の記録」は大ヒットしています(相手役は渡哲也)。

 

 

吉永さんの大学の卒業論文のテーマは「アイスキュロスの『縛られたプロメテウス』におけるアテネの民主制について」でした。

 

大学時代も多数の映画に出演するなど多忙な日々を送っていましたが、留年することなく成績優秀で「次席」として表彰されています。

 

その後の活躍はもはや説明不要で、日本を代表する大女優のひとりです。

 

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吉永小百合の学歴~出身高校(都立駒場高校・精華女子高校)の詳細

 

出身高校:東京都 都立駒場高校(中退) 普通科 偏差値68(現在・難関)

※精華女子高校に転校

 

 

 

吉永小百合さんは中学卒業後は、都立駒場高校に進学しています。

 

この高校は1907年開校の都立高校で、当時から進学校として知られています。

 

また当時から普通科のほか体育科(現在の偏差値は60)も設置していましたが、吉永さんは普通科に在籍していました。

 

なおこの高校には一般受験で入学しており、高い学力を有していました。

 

 

高校時代は1学年上に、歌手の加藤登紀子さんが在籍していました。

 

吉永さんは高校時代はアナウンス部に在籍していましたが、部長を務めていたのが加藤さんです。

 

加藤さんは吉永さんの高校時代については、次のようにインタビューで振り返っています。

 

「小百合さんは学校に来る時間もあまりないのに、駒場放送局のアナウンス部に入り、私が企画したアナウンス講習をきちんと受けてくれた。NHKのアナウンサーを呼んで、早口言葉などの基礎を教えるんです。小百合さんはクラス対抗の卓球大会にも出たりしていた。ただ、学校の前にいつも赤いクルマが待っていて、すぐに仕事に戻ってしまう。とても忙しそうでしたね」

 

 

吉永さんは高校入学と同時に日活撮影所に入所しており、入学式当日にも撮影に呼ばれたそうです。

 

当時の大卒の初任給の平均が役1.3万円だったところ、日活撮影所に入所する条件として年間2本以上の映画に出演する条件で基本給は月に1万円で映画1本のギャラは2万円だったそうです。

 

そして1年目にして7本の映画に出演し、2年目では16本の映画に出演しました。

 

後述するように小学生時代から芸能活動をしており、吉永さんは高校2年生のときに仕事が多忙となったことから、私立の精華女子高校(現在は東海大学望洋高校)に転校しています。

 

当時のことについて次のように話しています。

 

「しっかり勉強しようと思って高校に入ったのに結局”日活”の方が忙しくなって勉強できなくて…。2学期までやったら体育の単位をくれないということになってしまったのね。それでもうしょうがなくなって退学して、芸能の方がたくさん行く女子校に転校しました」

 

ちなみに当時の精華女子高校は芸能人を多数受け入れており、次の人物たちが卒業生です。

 

美空ひばり(歌手)

中尾ミエ(歌手)

和泉雅子(女優)

小川知子(女優)

鷲尾真知子(女優)

 

そして吉永さんは高校3年生だった1962年に、出演した映画「キューポラのある街」で女優としてブレイクしています。

 

 

 

またこの年にはファーストシングル「寒い冬」で歌手でデビューしています。

 

 

さらに同じ年に橋幸夫さんとデュエットした「いつでも夢を」は大ヒットして、日本レコード大賞も受賞しています。

 

 

このように高校3年生の時に女優や歌手として大ブレイクしたことから、高校に通学が困難となってしまい最終的に同校を中退しています。

 

高校時代は学校生活と仕事の両立に悩んでいたそうで、授業にも出れず自宅に帰れずに事務所で寝泊まりすることもあったと言います。

 

毎日睡眠時間は4、5時間だったとインタビューで話していました。

 

とは言えその後も快進撃は続き、高校中退後から大学進学までに出演した映画「伊豆の踊子」や「愛と死をみつめて」などは大ヒットを記録しています。

 

 

 

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吉永小百合の学歴~出身中学校(渋谷区立代々木中学校)の詳細

 

出身中学校:東京都 渋谷区立代々木中学校 偏差値なし

 

 

 

吉永小百合さんの出身中学校は、地元東京都渋谷区内の公立校の代々木中学校です。

 

中学時代は演劇部に在籍していました。

 

当時は高校を出たら新劇に応募してみようと思っていました。

 

すでにオファーはあったそうですが「杉村春子さんや(坂東)玉三郎さんの素晴らしい舞台を見ると、とてもとてもできない」と断っていました。

 

吉永さんは運動は苦手ではありませんでしたが、球技はとても苦手でテニスを習ったことがあるそうですが辞めてしまったようです。

 

中学3年生だった1959年に映画「朝を呼ぶ口笛」で女優デビューしています。

 

 

またこの年には「まぼろし探偵」で、はじめてテレビドラマに出演しています。

 

 

中学時代は仕事と学業を両立させており、学校の成績も優秀でした。

 

そのため前記の進学校にも合格しています。

 

【主な卒業生】

あおい輝彦(俳優)

野田秀樹(劇作家)

 

吉永小百合の学歴~出身小学校(渋谷区立西原小学校)の詳細

 

出身小学校:東京都 渋谷区立西原小学校

 

 

 

吉永小百合さんの出身小学校は、地元渋谷区内の公立校の西原小学校です。

 

家族構成は両親と姉と妹の5人家族です。

 

 

父親は東大法学部卒で映画関係の出版社を起こしましたが、事業に失敗したため食べることもままならないほど貧乏でした。

 

そのため母親もピアノ教師をして家計を支えていました。

 

吉永さんも家計の助けになりたいと思ったそうです。

 

 

そんな中、小学6年生の時にTBSに勤務していた親戚の紹介によって、ラジオドラマのオーディションを受けて合格しています。

 

また3姉妹の次女である吉永さんが芸能界入りしたことについては次のように話しています。

 

「小学校の学芸会で主役をやって。割に感動するような作品で私自身もすごく楽しかった」

 

 

小学生時代は病弱で何度も肺炎にかかっており、年間で1ヶ月ほど病欠で学校を休んでいました。

 

しかし成績は優秀だったそうです。

 

またおてんばな性格だったことから、小学生時代にさぼっている男子をおいかけて注意することもありました。

 

以上が吉永小百合さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。

 

高校時代に大ブレイクしていますが、以降も数々のテレビドラマや映画に主演してきました。

 

 

70歳を超えた現在でも第一線で活躍しており、絶大な人気も誇っています。

 

 

今後も末永い活躍を期待したいです。

 

吉永小百合の学歴・経歴・プロフィールの略

 

1945年(0歳):東京都渋谷区で生まれる

1951年(6歳):渋谷区立西原小学校入学

1956年(11歳):ラジオドラマのオーディションを受けて合格し芸能界入り

1957年(12歳):渋谷区立西原小学校卒業

1957年(12歳):渋谷区立代々木中学校入学

1959年(14歳):映画「朝を呼ぶ口笛」で女優デビュー

1959年(14歳):「まぼろし探偵」テレビドラマデビュー

1960年(15歳):渋谷区立代々木中学校卒業

1960年(15歳):都立駒場高校入学

1960年(15歳):日活撮影所に入所

1961年(16歳):精華女子高校に転校

1962年(17歳):映画「キューポラのある街」に出演

1962年(17歳):「寒い冬」にて歌手デビュー

1962年(17歳):橋幸夫とデュエット曲「いつでも夢を」を発売

1962年(17歳):第4回日本レコード大賞を受賞

1962年(17歳):資生堂「ティーンズ化粧品」にてCMデビュー

1962年(17歳):精華女子高校を中退

1962年(17歳):NHK紅白歌合戦初出場

1965年(20歳):早稲田大学第二文学部入学

1966年(21歳):映画「愛と死の記録」に主演出演

1969年(24歳):早稲田大学第二文学部卒業

1973年(28歳):フジテレビディレクターの岡田太郎と結婚

1988年(43歳):「つる -鶴-」に主演し、映画出演は通算100作品となる

2006年(61歳):紫綬褒章受賞

2010年(65歳):文化功労者に選出

 

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