美川憲一の学歴と経歴|出身中学校高校や大学の偏差値

 

美川憲一(みかわ けんいち)

 

 

1946515日生

身長173

 

長野県出身の歌手、タレント

本名は百瀬由一(ももせ よしかず)

 

経歴

 

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1964年に大映ニューフェイスの合格。

 

1965年に1STシングル「だけどだけどだけど」で歌手デビュー。

 

 

1966年に3RDシングル「柳ヶ瀬ブルース」がミリオンセラーとなって、人気歌手の仲間入り。

 

 

1968年に「釧路の女」でNHK紅白歌合戦に初出場。

 

以降も「おんなの朝」や「さそり座の女」などの楽曲がヒット。

 

1977年と1984年に大麻取締法違反で逮捕され、メディアへの露出が激減する。

 

1980年代後半にコロッケによるモノマネがウケて、復活の兆しとなる。

 

1990年の金鳥のCMが話題になって、翌年の紅白歌合戦に17年ぶりに出場。

 

 

タレントとしても毒舌がウケて再ブレイクを果たし、以降は数多くのバラエティー番組に出演。

 

紅白歌合戦でも小林幸子との衣装対決が毎年話題になった。

 

 

学歴~出身中学校・高校

 

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出身高校:東京都 正則高校(中退) 偏差値51(現在)

 

美川憲一さんの出身校は、私立の男子校(当時)の正則高校です。

 

同校は1889年設立の伝統校で、元総理大臣の吉田茂さんや千葉知事でタレントの森田健作さんらの母校として知られています。

 

美川さんは港区立南桜小学校から港区立愛宕中学校を経て、同校に進学しています。

 

複雑な生い立ちで、未婚の母だった母親が結核を患って、2歳の時に母親の姉夫婦に引き取られて育ちます。

 

育ての親の夫婦には深い愛情を注がれましたが、養父が小学校5年生の時に他界します。

 

その後は経済的にも困窮したことから、実の母親と義母を食べさせるために芸能界を目指すことを決意。

 

そのため高校は1年で中退して、養成所である東宝芸能学校に入学しています。

 

19歳で歌手デビューして、翌年には出世作となった「柳ヶ瀬ブルース」が大ヒットして人気歌手の仲間入りを果たします。

 

ところがその後、2度にわたる大麻での逮捕でどん底を経験します。

 

一時は芸名を「美川けん一」に改名したこともありましたが、低迷期は長らく続きます。

 

しかし1980年代後半のコロッケさんのモノマネや1990年放送開始のアニメ「ちびまる子ちゃん」でたびたび取り上げられて復活。

 

以降は人気タレントとして多くの番組に出演してきました。

 

年齢は70代へと突入していますが、未だに高い人気を誇るだけに、末永い活動を願いたいところです。

 

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