小渕優子の学歴と経歴|出身大学高校(成城大学・成城学園)や中学校の偏差値|ゴルフ部だけど運動音痴だった!

 

政治家の小渕優子さんの出身高校や大学の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。実は小渕さんは運動神経があまりよくないにも関わらず、大学までゴルフをおこなっていました。学生時代のエピソードや情報、若い頃のかわいい画像なども併せてご紹介いたしま

 

小渕優子(おぶち ゆうこ)

 

 

19731211日生

身長168

血液型はA型

 

東京都文京区出身の政治家

自由民主党所属の衆議院議員

 

以下では小渕優子さんの出身高校や大学の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介いたします

 

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目次

小渕優子の学歴まとめ

 

出身大学:成城大学 経済学部経営学科

出身高校:成城学園高校

出身中学校:成城学園中学校

出身小学校:星美学園小学校

 

小渕優子の学歴~出身大学(成城大学)の詳細

 

出身大学:成城大学 経済学部経営学科 偏差値58(当時・中の上)

 

 

 

小渕優子さんは高校卒業後は、成城大学に進学しています。

 

この大学の系列の高校に通学していたことから、大学には一般受験ではなく内部進学で進んでいます。

 

現在の同大の偏差値はやや凋落気味ですが、小渕さんが在籍していた頃はやや難易度も高かったです。

 

小渕さんは大学時代は経済学部に在籍していました。

 

(右から2人目が小渕さん)

 

経済学部は自身から一番遠いものだったようで、この学部を選んだ理由について自らを「どうも苦手なほう苦手なほうに行きたがる傾向があるらしい。」とインタビューで話しています。

 

また普通に考えたところ小渕さんは「文学部、国文むき」だったようです。

 

しかし経済学部の授業は面白かったようで次のように話しています。

 

「こちらの方向を選ばなければ、まったくやらなかったかもしれない。それを考えると、逆発想のこの選択は正しかった。得意分野ではなかったけれど、授業は興味深かった。」

 

またこの大学では体育会女子ゴルフ部に在籍していました。

 

 

当時の同大の女子ゴルフ部は厳しい部活動で有名だったようで、練習も厳しく日本体育大学や日本大学と同じブロックで試合をするほど本格的でした。

 

そのため小渕さんは大学4年間は部活に明け暮れた日々だったとインタビューで語っています。

 

大学時代にはアルバイトも経験して「お金を稼ぐ大変さ」を覚えたそうです。

 

卒業論文では「コマーシャルによる経営戦略」について書いたそうです。

 

小渕さんはテレビ関係の仕事がしたかったそうで、就職先としてTBSを選んだ理由については次のように話しています。

 

「中学から演劇部に入っていて、テレビ制作をやりたかったのですが、マスメディアの中枢に身を置いてみたいという思いもあってTBSを選択しました。」

 

 

大学卒業後はTBSに勤務していましたが、24歳だった1998年に父親の小渕恵三さんが総理大臣に就任すると、退職して私設秘書になっています。

 

 

そして2000年に恵三さんが脳梗塞で急逝すると、小渕さんは地盤を引き継ぎ6月の衆議院議員選挙に出馬して、26歳の若さで初当選しています。

 

 

すると2008年の麻生内閣で、戦後最年少の349か月で内閣特命担当大臣として初入閣を果たしています

 

 

一時は将来の首相候補のひとりとして名前も挙がっていましたが、2014年に政治資金問題で大臣を辞任しています。

 

 

とは言えその後に党組織運動本部長代理に起用されるなど、再び要職に復帰しています。 

 

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小渕優子の学歴~出身高校(成城学園高校)の詳細

 

出身高校:東京都 成城学園高校 偏差値64(やや難関)

 

 

 

小渕優子さんの出身高校は、私立の共学校の成城学園高校です。

 

この高校は1947年開校の私立高校で、古くからお坊ちゃま学校として知られています。

 

そのため芸能人の子息が多数進学していることで知られています。

 

小渕さんはこの高校の系列の中学校に通っていたことから、一般受験ではなく内部進学で進んでいます。

 

 

高校時代はゴルフ部に在籍をしていましたが、スポーツは苦手だったようです。

 

小渕家はみんな運動が苦手だったこともあり、運動音痴をどうにかしたいという思いでゴルフ部に入ったそうです。

 

ただ当時のことについて「いい加減な部員であったため、目的達成ならず」とインタビューで話していました。

 

高校生の時にはクラスメイトの多くが家庭科をやっているところ、数学を選択したそうです。

 

数学を選択した理由については大学でいろんな学部に行く選択肢を増やすためでした。

 

自身の高校生活について次のように話しています。

 

「特に中学のときと同じ学校、同じ仲間といった感じなので、変化なし。ただ、上手には言えないけれど、子供から大人への何かいろいろなものを学んだ。」

 

高校時代は夜遊びをすることもあったようですが、決して道は外さなかったそうです。

 

また高校生の時には「レイジー優子」の芸名で自主制作映画に出演したこともありました。

 

 

後述するように小渕さんは小学生の頃から琴を習っており、高校2年生の時に準師範になるための試験を受けて合格しています。

 

そのため現在は名取りの資格も取得しています。

 

加えて小渕さんは中学時代から高校時代にかけて、1学年上のバスケットボール部の先輩に5年間片思いをしていました。

 

しかしその恋が成就することはありませんでした。

 

【主な卒業生】

田村正和(俳優)

及川光博(俳優)

香音(ファッションモデル)

鶴田真由(女優)

山口もえ(タレント)

 

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小渕優子の学歴~出身中学校(成城学園中学校)の詳細

 

出身中学校:東京都 成城学園中学校 偏差値64(やや難関)

 

 

 

小渕優子さんの出身中学校は、私立の共学校の成城学園中学校です。

 

この中学校には中学受験で合格して進学しています。

 

ただし当初はこの中学校を含めて3校受験する予定でしたが、高熱のため他の2校は受験できませんでした。

 

また成城学園中学校・高校は古くから自由な校風で知られており、校則の厳しい小学校に通学していた小渕さんは当初は大変ショックを受けていたそうです。

 

中学時代は演劇部に在籍していました。

 

演劇部の思い出については次のように振り返っています。

 

「小学校に引き続き、部活動は演劇部に。小学校の頃よりも数段本格的で、でもその分楽しかった。友達も先輩も後輩も、みんな本当に仲がよく、1週間の夏の合宿はとてもハードでありながら、とても楽しかった。マラソンから始まって、発声、ストレッチ、そしてダンスの練習。汗と涙と笑いありのこの合宿は、本当にいい思い出」

 

学生時代には友人と上手くいかずに悩んでいた時期もあったそうです。

 

自身の中学校生活について次のように振り返っています。

 

「成城学園はお嬢様学校というけれど、どうしてどうして。1年生では2kmの遠泳、2年生では白馬登山、そして毎年の20kmマラソン大会。まったく泳げなかった私にとってはかなりつらいこと。この3年間でとてもたくましくなった。」

 

なお小渕さんは中学時代から父親の仕事の手伝いをしており、父親が多忙な時期に代理として挨拶回りなどをおこなっていました。

 

小渕優子の学歴~出身小学校(星美学園小学校)の詳細

 

出身小学校:東京都 星美学園小学校

 

 

 

小渕優子さんの出身小学校は私立の星美学園小学校です。

 

家族構成は両親と兄、姉の5人家族です。

 

父親は内閣総理大臣を務めた小渕恵三さんです。

 

 

父親は小渕さんが幼い頃から「サッチャー首相のようになろうね」と話しており、小渕さんのことを「ユッチャー」と呼んでいたことがあったそうです。

 

小渕さんは自身の子供の頃について次のように話しています。

 

「私はお転婆で、けれど、姉も兄もどちらかというとおとなしいタイプでした。着せられるものもジーパンとTシャツ。『ユッチャー』以前は、「優太郎、ゆうたろう」と呼ばれていました。」

 

 

そのため幼稚園に通っている頃からご飯を食べる前には「はい、優太郎、演説」と父親から言われていたそうです。

 

 

小渕さんは父親を喜ばせたい一心で「わたくし、ご紹介に与りました小渕優子でございます。」とやっていたことを明かしています。

 

また小学生時代は演劇部に在籍をしていました。

 

小渕さんは小学1年生の時から琴を習っていました。

 

小学校3年生の頃にはブラスバンド部に入部しましたが、朝練が多かったことから途中で断念しています。

 

そのため小学校4年生の時からは演劇部に入部しています。

 

また小学校5年生の頃から児童会の活動に携わり、卒業するまで児童会役員を務めていました。

 

 

以上が小渕優子さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。

 

元首相の娘だけあって、党内でもスピード出世をしてきました。

 

そのため一時は将来は女性初の内閣総理大臣の候補者のひとりにもなったほどです。

 

未だに人気や注目度の高い政治家だけに、今後の動向も気になります。

 

 

経歴/プロフィールの詳細

 

1996年にTBSに入社し、ADとして「はなまるマーケット」などに携わっていた。 

1998年に父親の小渕恵三が首相に就任するとTBSを退職して、私設秘書となる。 

20005月に父親が急逝すると地盤を引き継いで、6月の衆議院議員選挙で26歳で初当選を果たす。 

2008年の麻生内閣で、戦後最年少の349か月で内閣特命担当大臣として初入閣。

2014年の第二次安倍改造内閣で経済産業大臣と内閣特命担当大臣を兼務。

同年10月に週刊誌で政治資金規正法違反の報道がなされ、大臣を辞任。

私生活では2004年にTBSの同期入社の社員と結婚し、2007年と09年に男児を出産している。

 

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