加護亜依の学歴|出身高校中学校や小学校の偏差値|借金やイジメが壮絶すぎる

 

「モーニング娘。」の元メンバー加護亜依さんの出身校の偏差値などの学歴情報をお送りします。実は加護さんはトップアイドルとして活動していた頃から多額の借金を背負い、壮絶なイジメにも遭っていました。学生時代のエピソードや情報、若い頃のかわいい画像なども併せてご紹介いたします

 

加護亜依(かご あい)

 

 

198827日生

身長155

血液型はAB型

 

奈良県大和高田市出身の女優、タレント

モーニング娘。の元メンバー

本名同じ(結婚前)、愛称は「加護ちゃん」

 

以下では加護亜依さんの出身校の偏差値や学生時代のエピソードなどをご紹介いたします

 

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目次

加護亜依の学歴まとめ

 

出身高校:進学せず→青山インターナショナルアカデミー(中退)

出身中学校:大和高田市立片塩中学校→目黒区立第十中学校

出身小学校:大和高田市立浮孔小学校

 

加護亜依の学歴~出身高校(青山インターナショナルアカデミー)・大学の詳細

 

出身高校:進学せず

 ※後に青山インターナショナルアカデミー(通信制・偏差値なし)に入学

 

加護亜依さんは中学卒業後は高校に進学せずに、芸能活動に専念しています。

 

所属していたハロープロジェクトは紺野あさ美さん(後に大検に合格)や市井紗耶香さんなど高校に進学しないタレントが多いことで知られていましたが、加護さんも高校には進学していません。

 

加護さんは小学校卒業前に「モーニング娘。」に加入して、「ミニモニ。」や「タンポポ」などのユニットでも活動しており中学時代のインタビューでもたびたび「学校に行けていない」と述べていました。

 

そのため高校には進学しないで、芸能活動に専念する道を選んでいます。

 

以降も「モーニング娘。」の人気メンバーとして活動しています。

 

高校1年生にあたる2003年にはファーストソロ写真集「KAGO ai」を発売してヒットしています。

 

 

そして高校2年生にあたる2004年8月に、人気絶頂のまま辻希美さんとともにグループを卒業しています。

 

 

その後は加護さんは女優やタレントとして活動していましたが、18歳だった2006年に喫煙問題で活動休止に追い込まれています。

 

 

2007年にも喫煙が発覚して、活動休止期間は2年に及ぶことになります。

 

2008年に活動を再開させますが、加護さんはこの年に青山インターナショナルアカデミーという通信制高校に入学しています。

 

この高校はアメリカ・コネチカット州のブリッジポート高校の日本校という位置づけで、通信教育でアメリカの高校卒業の資格を取得できるシステムの学校でした。

 

ただし日本の高校卒業の資格が取得できなかったことから、後に閉校になっています。

 

加護さんは芸能活動再開に伴って、高校卒業の資格を取得するためにこの高校に進学しています。

 

 

ただし高校に在学中は、勉強に苦労していることをインタビューで話しています。

 

「アメリカの高校なので卒業が大変なんです。レポートやテストをこなさないと単位がもらえません。授業はすべて英語なので、今はESLという英語集中講座で英語の基礎力をメインに勉強しているんです。家での勉強は1日3時間くらいかな。勉強は大切だけど、やっぱり苦手で(笑)。ボイスレコーダーや音声の出る辞書でヒアリングしたり、ライティングしたりしています」

 

当時はアメリカの本校への留学を目指すコメントもしていましたが、どうやらこの高校は中退してしまって卒業はしていないようです。

 

とは言え、その後は主にタレントとして活動しています。

 

また2020年12月にはYOUTUBEに自身のチャンネル「加護ちゃんねる」を立ち上げます。

 

 

このチャンネルでは自身の過去について告白しており、早くも大きな反響となっています。 

 

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加護亜依の学歴~出身中学校(大和高田市立片塩中学校・目黒区立第十中学校)の詳細・借金やイジメが壮絶だった!

 

出身中学校:奈良県 大和高田市立片塩中学校 偏差値なし

※後に目黒区立第十中学校に転校して卒業 

 

 

 

加護亜依さんが入学したのは、地元奈良県大和高田市の公立校の片塩中学校です。

 

ただしこの中学校に入学直前に「モーニング娘。」のオーディションに合格してメンバー入りしたことから、この中学校にはほとんど通っていません。

 

直後に芸能活動を本格的に開始するために、大和高田市から東京都に転居しています。

 

そして目黒区立第十中学校(偏差値なし)に転校しています。

 

 

 

モーニング娘。に加入後は後藤真希さんが教育係を務めています。

 

加護さんは中学1年生だった2000年7月には、同じオーディションに合格した石川梨華さんとともにグループ内ユニット「タンポポ」に加入しています。

 

 

また同じ月には矢口真里さん、辻希美さん、ミカさんとともにユニット「ミニモニ。」を結成しています。

 

 

ミニモニ。は翌年の1月にファーストシングル「ジャンケンぴょん!」でメジャーデビューを飾りますが、いきなり楽曲が大ヒットしています。

 

 

ミニモニ。はその後もヒットを連発して、アニメ化されたり冠番組も放送がスタートしています。

 

そのため人気全盛期には本家のモーニング娘。を凌ぐほどの人気でした。

 

このように加護さんはグループ入り後、瞬く間に人気者となっています。

 

 

ところが中学時代に人気者ゆえのイジメに遭ったことをインタビューで話しています。

 

「有名になっちゃったから靴とか靴箱あるじゃないですか。私の靴の中にカッターナイフを入れられた。生卵が入っていたり」

 

そのため学校の上履きを自宅に持って帰っていました。

 

それでも校舎の上から唾をかけられるなどの陰湿なイジメは続きました。

 

ただし中学2年生以降は仕事が多忙になってしまい、あまり学校には通学できませんでした。

 

 

加えて中学時代の加護さんは、ファンの女性からストーカー被害にも遭っていたことを告白しています。

 

「ラジオの生放送終わりに、家の前で待ち伏せされてて。私がチェックのコートを着てたんですけど、その子も同じチェックのコートを着てて『なんでいるんですか?』って聞いたら『あいぼん、来ていいって言ったじゃん』って泣きながら言われて」

 

ちなみに加護さんは「家に来ていい」などとは言っていませんが、その後に女性マネージャーがストーカーの女性に話を聴いたところ、その女性がテレビの加護さんに向かって「家に行っていい?」と聞いたところ、そのタイミングでテレビ番組内の加護さんが相槌を打ったことから家に来たという怖すぎるエピソードも残っています。

 

その女性ストーカーはその後のモーニング娘。のライブで1番前の席に座り、ブック帳に「私のことをなめないでよ」と書いて加護さんに見せています。

 

さらに当時はトップアイドルだった加護さんですが、中学時代に義父の経営する運送会社が倒産して巨額の借金を作ったことから、芸能活動で得た収入の大半は借金の返済などに使われています。

 

マスコミはデビュー2年目の2001年の加護さんの推定年収は4000万円だったと報じていますが、それでも足りなかったとのこと。

 

さらに当時は母親は子育てに専念していたことから、きょうだいの学費や生活費、さらには体の弱い弟のリハビリ費用まですべて加護さんが稼いでいました。

 

また自宅が差し押さえられたこともありました。

 

加えて最初の喫煙事件があった頃には実家にお金が数万円しかなく、母親が加護さんに事務所からお金を借りれないかと持ち掛けたとも報道されています。

 

 

また会社倒産後も義父や母親は働くこともなく、以降も加護さんの収入に頼っていたと報道されています。

 

さらにはモーニング娘。の同期でグループ入り後も非常に仲の良かった辻希美さんに、中学2年生の時に「絶交宣言」をされています。

 

原因は5期生がメンバー入りすると辻さんは加護さんよりも5期生と一緒にいることが多くなり、加護さんが辻さんに嫌みを言うようになったことがきっかけだとマスコミは報じています。

 

ちなみにその際にはグループのメンバーの矢口真里さんと吉澤ひとみさんが2人の仲を取り持とうとしましたが、辻さんの怒りは激しく失敗に終わっています。

 

辻さんとは中学卒業後に和解したようですが、借金やイジメがあった中で親友に絶交されるのはかなり精神的にショックを受けたのでしょう。

 

 

辻希美の学歴|出身高校中学校や小学校の偏差値と学生時代

 

このように順風満帆のように思えた加護さんですが、トップアイドルとして活動する傍らで様々な悩みを抱えていました。

 

ちなみに加護さんの母親は再婚した男性と、加護さんが19歳だった2007年に離婚しています。

 

 

【目黒区立第十中学校の主な卒業生】

寺尾聡(俳優)

松尾紀子(アナウンサー)

 

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加護亜依の学歴~出身小学校(大和高田市立浮孔小学校)の詳細

 

出身小学校:奈良県 大和高田市立浮孔小学校

 

 

 

加護亜依さんの出身小学校は、地元の大和高田市立浮孔(うきあな)小学校です。

 

加護さんは両親がともに17歳だった時に生まれ、1歳の時に離婚しています。

 

(母親と)

 

そのため実の父親の顔などは覚えていませんでした。

 

ちなみに母親は加護さんを出産後に高校を中退していますが、後に看護師の資格を取得して家計を支えています。

 

両親の離婚後は母親に引き取られて育ちますが、10歳の時に母親が再婚して弟2人や妹が誕生するなど、複雑な家庭に育っています。

 

弟のうち1人は発達障害だったことを後に加護さんが明らかにしています。

 

ただし母親の再婚相手である運送会社の経営者からは非常にかわいがられています。

 

なお小学校時代の加護さんはかなり奔放だったようで、禁止されているルーズソックスを履いて校長室に呼び出されたこともありました。

 

小学校6年生だった2000年の3月に、バラエティ番組「ASAYAN」内でおこなわれた「モーニング娘。第3回追加オーディション」に合格しています。

 

 

このオーディションでは、石川梨華さんや吉澤ひとみさん、辻希美さんも合格しています。

 

ちなみに当時の加護さんはアイドルになりたいとはまったく思ってませんでした。

 

たまたま家族が銭湯に行った際に、自宅で1人で見たテレビ番組が「ASAYAN」でした。

 

当時は歌手に憧れていましたが、自分がなれると思っていませんでした。

 

しかし友達が小学校の卒業記念にみんなでオーディションを受けることを言い出したことから、軽い気持ちで応募しています。

 

 

ちなみに当時は「履歴書」という言葉の意味も知らずに、親にも内緒でオーディションに参加しています。

 

また当時はメンバーの中でも最年少で、歌もダンスも未経験だったことからグループ入り後のレッスンなどにはかなり苦労をしています。

 

そのため毎日家で泣いていたことをインタビューで話しています。

 

以上が加護亜依さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。

 

人気絶頂期にはトップアイドルとして一世を風靡するほどでした。

 

 

ところが喫煙問題や不倫騒動、DV問題などが重なって、メディアへの出演もかなり減っています。

 

 

とは言え出産などを経験して大人の女性にもなったことから、今後の新境地にも期待が高まります。

 

辻希美の学歴|出身高校中学校や小学校の偏差値と学生時代

 

加護亜依の経歴・プロフィールの略歴

 

1988年(0歳):奈良県大和高田市生まれ

1989年(1歳):両親が離婚して、以降は母子家庭に育つ

1998年(10歳):母親が再婚

1999年(11歳):「ASAYAN」のモーニング娘。3期生オーディションに合格

2000年(12歳):ユニット「タンポポ」に加入

2000年(12歳):矢口真里や辻希美、ミカとユニット「ミニモニ。」を結成

2003年(15歳):ファースト写真集「KAGO ai」を刊行

2004年(16歳):モーニング娘。を卒業

2006年(18歳):喫煙問題で活動を休止

2011年(23歳):結婚(長女を出産)

2015年(27歳):離婚

2016年(28歳):会社経営者と再婚

2017年(29歳):長男を出産

2020年(33歳):YOUTUBEに公式チャンネルを開設

 

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